ワザップ!フォーラム
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#6 手
「…あれ、寝ちまったのか」
「さっき寝させてくれって言ったのは悠希くんでしょ?」
「うおっ…お、はよう、湊」
「?ヘンなの」
湊のことを考えながら寝てしまって起きたら湊がいた。いや、だいたい俺のせいなんですけどね。
お兄ちゃん起きて!…起きないの?…じゃあ…こうしてやるんだから!から始まるギャルゲーの冒頭シーン的なやり取りが無かったから湊は俺に気が無いな。間違いない。
横になったまま伸びをする。ぐ〜。そのままあくびへ連携。この数秒に幸せを感じるのって俺だけ?
「どれくらい寝てた?」
「10分弱。君、さては休み時間に寝る派だね?」
「ああ。することないなら寝るか勉強するべきだろ。」
ほとんどレベリングの思考なのは認める。
「…悠希くんって休み時間にお喋りする友達もいないの?憐れね」
「おい、なんでお前は突然俺を罵倒し始めようとしてんだよ。…ん?何聞いてるんだ?」
真正面からぼっちをいじめながら、湊はイヤホンで音楽を聴いていたらしい。
コードの繋がれた先にはピンクのウォークマン。ちょっと古いタイプで、俺も以前持っていた。
「エルレ。知らない?08年に休止しちゃったバンドなんだけど」
「いや、知らんけど。」
「そっか…ならば聞け!」
「ちょっ!近い近い近い!」
右耳のイヤホンを外し、寝ている俺の耳の穴へぶち込まんとする湊。卑猥な構図だ。
左のイヤホンはつけたままだから湊の顔が目の前にアッー!
「こんないいバンドを知らないなんて!とんだバーローだぜ!」
「痛い!耳をつねるな!聞くから!聞きますからぁ!」
くんずほぐれつしそうになったので大人しく降伏。寝起きで女の子とそんなプレイはごめんだぜ。
ていうか湊キャラぶれ過ぎじゃねぇ。この人の心の闇が恐ろしい。
「うんうん、それでよし。エルレの右手って曲だよ」
「…って隣に寝るのかよ」
俺が暴れて出来た座布団の隙間に湊がダイブ。一つの座布団に頭が二つ並んだ。
すぐ隣にいる湊。触れてしまいそうで身動きが取れない。撫でるように触れる湊の柔らかい髪に心臓が騒いでいる。
締め切った俺と湊しか入れない部屋。共に勝利を掴んだうら若き男女がすぐ隣どうしで寝転んでいる…。
なにこれ。なんすかこの状況。湊って実はビッチなの?こういうときどうすりゃいいの教えてエロい人。
「いーじゃんいーじゃん。試合の日は必ず聴くんだ、これ」
「…なんだ、やっぱ中学でバレーやってたな?」
「…まぁ、そんなとこ」
近くて。近いから、湊の表情が見れない。
今、彼女がどんな顔をしたのか。俺は知ることが出来なかった。
右耳から流れてくる音楽。
イントロの特徴的なリズムのギター。弾けるドラム。
オレンジ色の曲。暖かい。
『誰がいいだとか、誰が悪いとか。興味すらないよ』
ギターとボーカルだけのAメロ。それだけでこの曲のイメージが掴めた。
湊は、この曲がすごく好きなのだと思う。この歌声が、彼女の在り方にそっくりだから。
叫びだしたい何かを内側に秘めて、それが届かないことに苦しんでる、そんな姿。
真っ先に救われるような存在でも、真っ先に誰かを救う存在でもない。
ただ真面目に生きて。苦しんで。その苦しみはみんなが持ちうるものなのかと、疑う。
人間だれしも違う。ある苦しみを皆が分かってくれるわけじゃない。
だけど分かってほしいのだ。だから歌うのだ。彼は、そして彼女は。
『争いのわけや、勝利の行方。僕が知りたいのはそんな大それたことじゃなくて』
音から風景が流れ込んでくる。
花の咲かないような荒れた丘が、陽の沈みゆくオレンジ色に塗られている。
途方もなく輝く夕日に、僕らの右手は届かない。
その眩しさを手に入れたい。その明るさに辿り着きたい。
届かないとわかっていても、僕らは右手を伸ばしつづける。
『僕らの両手は、どこまで伸ばせば』
かすかに聞こえてくる、湊の歌声が重なる。
この曲が、いつも湊を勇気づけてきたというのなら。
俺は、この曲からどれだけの勇気を知ることが出来るのだろう。
『誰かに、触れるかって』
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『運がいいだとか、僕が悪いとか、言うつもりもないよ』
「…悠希くんはさ、この曲、どう思う?」
「…どうって、カッコいいなって思うけど」
「そうじゃない。…君はこの曲に、共感できるの?」
彼女がここまでして、この曲を聞かせたかった理由。
きっとそれはこの問いのためだったのだと思う。
『この星の未来、生きていく意味。
僕が知りたいのはそんな大それたことじゃなくて
そんなありふれたことでもなくて』
だから俺は、間違えてはならないし、偽ってもいけない。
この回答は彼女のためであると同時に、俺のためでもある。
「何疑ってるんだよ。俺はそんな出来た人間じゃない。共感して当然だろうが」
「…そっか。よかった。…ありがとうね、そこまで読み取ってくれて。優しいんだね」
そのかすかな涙声が、俺にはひどく愛しく思えた。
『僕らの両手はどこまで伸ばせば誰かに触れるかって ねぇ、きっと』
伸ばした右手が、彼女の涙を拭う。
「…泣くことかよ」
「…ごめん。そう言ってくれたの、君が初めてだったから」
この右手という曲に共感できるということは。
彼女と同じ丘に立って、太陽に届かない苦しみを理解できるということだ。
その苦しみを、誰もが分かってくれるわけじゃない。
一人ぼっちの丘に踏み出すには、丘が崩れ落ちてしまいそうな恐怖に打ち勝たなくてはならない。
『僕らの右手はどこまで上げれば誰かに見えるかって それだけ』
彼女の隣にいるのは、苦しい。
崩れてしまいそうで。眩しくて。届かなくて。
それでも右手を伸ばし続けられるのなら。その苦しみを持ち続けられるのなら。
『何一つ知らない僕らは ただ一人じゃなきゃいいんだ』
湊の隣にいる覚悟があるか。湊の味方でいてやれるか。
こんな不器用なやり方でしか俺を量れない、そんな彼女の苦しみを、俺は分かち合えるのか。
そこまで考えて、右手を伸ばす。彼女の左手に触れる。それが答えだった。
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それはいったい何故だったのだろう。
湊いろははただのクラスメイトだ。
言葉を交わしたのは今日だけ。まさかそれだけで好意を抱いたわけでもあるまい。
バレーボールを一緒に戦っただけのクラスメイトだ。それだけの関係だ。
これは決して彼女に対してそういった感情があるわけではないのだ。
だから、湊のためなんかじゃない。
なら、なぜ俺は、その意味を分かっていて右手を伸ばしてしまったのだろう。
『お前は優しくて正しいよ』
その言葉が、妙に熱を持って頭から離れなかった。
「で?妙に距離感のあるお二人さんはどこまで行ったんだ?」
「陽斗くん!こういうときはもっとデリカシーとか聞き方とかあるでしょ!」
「聞き方…そうか、こうだな紫暮!悠希と湊が部室で何をしていたのか、私、気になります!」
「…ハル、お前がやっても寒いだけだぞ」
「な、なにぃ!?ならば紫暮!」
「やらないよ!?やらないからね!」
「なん…だと…」
「あ、あはは…」
なかなか教室に戻ってこない俺を探して、紫暮がハルを連れて部室まで来た。
鍵は中にしかなかったので素早く状況隠蔽して俺が鍵を開けた。
そして各々が座布団に座り、しばしのお茶会。この部室を使っていた3人と湊の外交会議でもある。
ところで紫暮が持ってきたお菓子のセンスが凄く俺好みなんだが嫁に来てくれないかな…。
「ハル、野球のほうはどうした。エントリーしてあるんだろ?」
「ああ、俺は10人目の秘密兵器なんだ。いくら自信があるといっても、重複で試合に間に合わなかったらアウトだしな。一戦目は俺抜きで勝ってくれたよ」
なんとまぁ。妙に強い1年2組である。
「でもちょっと意外だったかなぁ」
紫暮が可愛く首を傾げる。そこらへんの女子には負けないレベルの可愛さだ。
「何がだ?」
「いや、悠希くんと湊さんがこんなにも相性がいいとはね。随分打ち解けるのが早かったみたいだね?」
「それは…どうなんだ湊」
「私っ!?そこで私に言わせるの!?…まぁ…いいのかも、ね?」
「えんだぁぁぁぁぁぁぁいやぁぁぁぁぁ」
「ハル。裏声うるさいぞ」
「はい。反省してまーす」
「…楽しそうだな?」
「ああ、来期アニメのPV集を眺めているような気分だ」
「さいですか」
あの30分クラスの動画を見るってことは数本は視聴予定なんだろうな…。
ちなみにシークバーのフル活用でけしからん枠アニメのPVを飛ばすのが俺のジャスティス。
どうしてああいうのってしっかり生き残るんだろうな…見るに堪えないんだが。
あとハルの裏声の高さに感動した。お前それ出せるのかよ。
「あ、わかるかも。声優欄とか止めて見ちゃうよね!」
「へぇ〜…湊もアニメとか見るのか?」
「うん。去年の冬は凄かったなぁ…陽斗くんはけっこうみるの?」
「いんや。せいぜん1本か2本、覇権覇権って連呼されるようなのを見るぐらいだ」
「湊は詳しそうだよな。主に男性声優とか」
「だだだ、だから腐女子じゃないって言ってるでしょ!」
「そうか…俺が紫暮に愛の言葉を囁いたらどうなるんだろうな」「えっ!?」「ちょっ!?」
「ハル、俺がそんなこと許すとでも思ったか?——紫暮は俺のだ、誰にもやらん」
嫁にはやらんぞ!…婿にはやってもいいのだろうか?
「ゆ、悠希くん…!僕、嬉しいよ…!」
「真顔で言うなよ悠希…紫暮はまあいいや。あと湊がすっごく目を輝かせて息を荒げているんだが」
「荒げてませんっ!」
つまり目は輝かせていたと。湊の腐女子疑惑がさらに高まったな。
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「まあそんなことはいいや。で、湊はどうやって部室の鍵を手に入れたんだ?」
「あっ…完全に忘れてたわその件」
「僕も…正直わりとどうでもいい」
「…お前ら俺の扱い酷くね?」
「だってハルだし。な、紫暮」
「うん、所詮は陽斗くんだし。ね、湊さん」
「だよね〜…って何言わせてるのさ!」
「おお、ノリツッコミ」
「…湊さんって結構ノリいいね?」
「そ、そうかな?えへへ」
「おいコラ湊。俺の紫暮を口説くのはやめろ」
「お前もさりげなく紫暮を口説くのはやめろ。そして俺の扱いが雑すぎて泣きかけた」
涙目のハル。頬を染める女子二人。
おお…ホモっ気すらあった旧囲碁部室がまるで桜の花が咲いたかのような華やかな空気に包まれている…!
暖かい…春のような陽気すら感じる。そよ風が吹いて俺たちの周りで踊る桜の花すら見えてきそうだ。※秋です
紫暮と湊がいるだけでここまで違うなんて…女子が多い吹奏楽部とか天国なんだろうな…。
と思ったがあまりのキツさに身体を壊し、そのうえ女子に責められた男の話を思い出した。
あっぶねぇ、桃色の何かに騙されるところだったぜ。現実では油断と緊張と勘違いが命取りだ。さぁ、油断せずに行こう!
「で、湊はどうやってここに入った?言え、さもなくば紫暮の貞操の保証はない」
「なっ!?」
「…なんで紫暮は尻を押さえてるんだ?ちょっと可愛いと思ってしまったぞ」
「…なんで湊は無言で嬉しそうな顔してるんだ?ちょっと引いたぞ」
「ちょ!?何も言わずに引かれるとか私なんなの」
「ただの腐だろうが…」
「もー、だから腐ってないってば」
「なんでこいつらいつもホモと腐女子の話ばっかしてるんだろうな…」
「僕も知りたいよ…って、だから本題!二度目だよこれ!」
だってしょうがないだろう。
俺は湊のことなんて何にも知らないんだから。
クラスメイトと会話することなんて、道を歩いてる知らない人に声を掛けるのと同じだ。
なぜなら、相手を知らないから。
友達ではなく知り合いと言われる関係にありがちなことだ。名前と顔ぐらいしか知らない。
相手が何を考えているのか。何を望んでいるのか。何に苦しんでいるのか。
そんなこともまるで分からないのに、世間は簡単にお友達という関係を強要してくる。うんざりだ。
驚きなのは、家族ですらこんなことが起こりうるということだ。
長年一緒に暮らしていたって。腹を割って話し合う機会が無ければ、子供は簡単に親を他人扱いする。
それはなぜかといえば、相手を知らないから。趣味とか好きな食べ物とかじゃなく、価値観を知らない。
だから他人なのだ。他人と暮らすのは疲れる。だから家を離れる。だから親子で酒を呑む。
要するに、自分を偽ることなんてあまりにも簡単で。誰かに向けていい全幅の信用など無い。
そんな俺が、湊にしてやれることなんてあるのだろうか。
「別に隠しやしないよ…3つ上の従妹がいてね」
「ふむ?」「ああ、だいたいわかった」「陽斗くん、そういうのいいから」
「私がこの高校に合格したときに、合格祝いだってここの鍵をくれたの」
「なぬ!?」「!」「え?」
なんということでしょう。悪者だったのは湊の従妹のほうだったらしい。
途端にハルの顔色が悪くなった。俺もそんな顔してるのかも。
だって俺らは完全に悪用ですから…。
「何の疑いもせずに入ってみたら廃部状態って知って…たまに入るぐらいだけど」
「その従妹さんは囲碁部だったのか?」
「ううん。生徒会」
「なんだそりゃ…怪しい臭いがプンプンするぞ」
…いや、これ以上の追求はよしておこう。なんかある。ぜってーなんかあるよその人。
「じゃあ、悠希くんたちはどうやって?」
「スネークして」「スニーキングミッションで」
「…日本語でオーケー」
「潜入して」「工作して」
「だいたいわかった。…君らねぇ…」
湊の目つきが完全にゴミを見る目になりました。
なんだ、案外信用あったんですか僕たち?わりとあきらめてました。
…まぁ冷や汗が流れてるんだけど。結構怖いけどここで立ち止まるわけにはいかない。
なんとしてもこの楽園を守り抜く…!
「やめろ。その目はやめろ。いいか湊、戦士には安息の場所が必要なのだ。
ベースキャンプ、アウターヘブン、ザソジバーランド、マザーベース、ラボ…そう、場所だ。
戦いつづける人間には戦場と基地があるのだよ。戦いと休息の別離だ。
だからこそハッキングやスパイという展開が盛り上がるのだ」
で、スパイがいい人だとさらに盛り上がる。
逆にあまり掘り下げられない人が実はスパイだったんだ!というのをやるとお前誰?になりかねない。
まあ、湊の顔色からするとあまり盛り上がって無さそうですけど。
「日夜(画面の向こうの)敵と戦い続ける俺たちには(ゲームの中という)戦場と安らぎの和室——この部室が必要なのだ。湊にこの場所を奪われるわけにはいかない。」
「へ?いや、あの」
「だから湊!」
「はいっ!?」
「今日からお前は俺たちの同志だっ!共に次元の壁を超える方法を探しにいこう!」
「…は、」
そういえば従兄がバンドでね、「次元の壁を越えられないから会えないけど、画面の外からずっと君だけを見てるよ」って歌ってました。何してんだよ従兄。曲が割とかっこよかったのに。
湊は、試合前に見せたような、本音の表情で。
ハルがため息をつき、紫暮がまったくやれやれと呟く。
何も、間違ってはいない。正解も無い。
湊を迎え入れるという選択と。これからここで続いていく高校生活と。
間違ってないと思わなきゃ、受け容れられない。
湊はくすくすと笑って、呼吸を整えてから、俺の目だけを見て言う。
「…………はい。」
いつかこの選択を後悔する日が来ても。今この瞬間に間違いは無かったのだと思う。
だって、湊いろはのその笑顔は、確かに本物だったのだから。
こうして帰宅部の部活編成は完了した。
悠希、陽斗、紫暮、湊。
それぞれの価値観と、それぞれの苦しみと、それぞれの望みと。
俺はどこまで、分かってやれるだろうか。俺はどこまで、救えるのだろうか。
高校生活はあまりにも短い。ほとんどのやつが自分のことに精一杯なまま終わる。
『きっとお前は自分を犠牲にする。優しくて正しい、悠希は』
陽斗は聡いヤツだ。あの言葉はきっと正しい。
なら、俺がなすべきことは、何なのだろう。
僕らの右手はどこまで伸ばせば、誰かに触れるのだろう。
子供の俺には、まだ分からない——。 -
#7 祝勝会
「では、1年2組の学年総合優勝を祝って——乾杯!!」
「「「「乾杯!!」」」」
「…乾杯」
力のある者が戦いを制する。当然のことだ。
普段はその道理で制される俺が制してしまった…うん、心の底から手塚さんに申し訳ないな。
結局、俺たちはバレーボールにおいて学年優勝を果たした。
一回戦ですでにアレだったので、その後も圧勝圧勝アンド優勝。いや、残りの二組最初っから士気がダダ下がりでした。
ハルというアルティメットウェポン擁する野球チームも優勝。
そのままの勢いで1年2組は学年総合優勝まで勝ち取った。
汗臭い担任がやたら騒いで祝勝会の焼肉へ。…安いなぁ、ここの食べ放題…。
1年2組の優勝に貢献した謎の帰宅部たちは話題になったようで、各々がバレー部やら野球部から熱烈な勧誘を受けた。いや、あいつらホント消臭スプレー臭いな…。
「乾杯。…どうしたんだ悠希君?」
「おう、ギー太さんか」
「あんたその呼び方は…まあいいや。どうしたよ、大活躍のヒーローさんがそんなしょぼくれた顔して」
「勘弁してくれよ。ガラじゃないんだ、そういうの」
「ははっ、よく言うぜ。最終戦なんて10本連続サービスだったくせに」
「あれは湊とハルがうまいことカバーしてくれたからな。つーかサーブ以外なんもしてねぇ」
3戦あっても一度もスパイクが決まることは無かった。さすがに心苦しいので今度湊にでも教わろう。
でも確かに今日の俺はイケメンすぎた。一戦目に6本、二戦目に9本。合計で25本。その内15本がサービスエースである。
いくら相手が素人とはいえさすがに通用しすぎだろう…すいません、女子ばっか狙ってました…。
「アレルギーなんだよ、俺」
「アレルギー?肉が?」
「違う。リア充アレルギーだ」
「…とりあえず聞こうか。」
「こういうリア充じみた空気とノリ…頭の悪い大学生の飲み会みたいなノリ…俺はそういうのが苦手でね。一人で夏祭りにでも行ったら倒れそうなレベルだ」
リア充アレルギー。Lv0〜5まで存在し、末期症状になると登校すら危険になってくる。
このアレルギーを持つ者にありがちなのは、カラオケの明るい感じがイヤ、ゲーセンに嫌悪感を感じる(主にUFOキャッチャーとプリクラ)、駅前の人の多さに酔う、(人が多いと吐き気を催すので)電車に乗れない、話し相手がいなくなるので奇数人数で出かけられない、アニメイトに入ってくるリア充に舌打ちをする、夏祭り不可、花火大会不可…など。
これらの症状を抑えようとすると必然的にぼっち化する。
ということはリア充の反対はぼっち、すなわちリア充をリア充たらしめているのは周囲の人間を惹きつけるコミュ力だったのだ…!
LVは不明ながらもこのアレルギーを持つ俺。いくら帰宅部の活躍があったとはいえ、この祝勝会(笑)のリア充臭い雰囲気は身体に毒である。
「…はっはっはっ!あんたホント面白いな!」
ギー太さんは快活とした笑いをみせる。おお、今まで少しだけビビってたけど…やっぱいいなぁこの人。
本音を言うと試合中のポニーテールとかちょっと可愛いと思ってました。紫暮といい勝負だ。
「まあなんだ。そんなもん気にすんなって。優勝を勝ち取った自分たちを労ってやればいいだけさ。
あたしも、優勝味わえて本当に嬉しかったんだからさ。ありがとう、あんたらのおかげだ」
「…そうだな。さんきゅ、ギー太さんっていい人なんだな」
「それもガラじゃねぇって。乾杯」
「おう、乾杯」
グラスと氷の鳴る音。小気味良い音を立てる乾杯が、笑いだしそうになるくらい心地よかった。
やっぱジンジャエールは美味いな!
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「おっ、やっと肉が来たみたいだ」
「よっしゃ。みんな、肉は任せろ…ハルに」
「そこで俺かよ!?」
笑い。明るい。暖かい。
この空気を何の疑いも持たずに楽しめるような子供になれたら、俺の青春はもっと輝いていただろう。
それを疑っても、欺瞞だと決めつけても。今日ぐらいはとりあえず、信じてみてもいいかなと思った。
——俺のテニス技術が活躍する日とか滅多にないしな!
「…で、なんなんだこの超火力は?火柱が立ってるぞ」
「キャンプファイヤーと間違えたかな…おかしいな…」
「紫暮お前よく箸入れられるな…」
「感じるんだよ。風を…って、あっつぅ!!」
「し、紫暮っ!何がいいんだ、水か!おしぼりか!それとも俺の唾液か!」
「…悠希くん、わざとやってない?」
「ほら紫暮。このお冷に指突っ込んどけ。俺はジンジャがあれば戦えるから」
「あ、ありがと悠希くん…」
おい担任。てめーはどう見ても店の選択を誤った。
肉の質、空気に漂う油の臭い、そして燃え盛る網…。どう見ても火力調整ミスである。
最強装備で行ったのにレウスのブレス一撃で落ちるようなもんだ。
「仕方がない…トングだ。箸はまだ危険すぎる」
「同感だ…みんな、火力が落ち着くまでは箸を入れるなよ」
「別皿用意完了、陽斗隊長、頼むぜ!」
「任せろ!!」
というわけで一番ヒットポイントの高そうなハルにトングを託すことになった。
…当然、超火力の前にすぐに黒焦げになる肉たち。
ハルは苦戦しつつも恐ろしい集中力を発揮し、絶妙な焼き加減を実現していった。
上手いな。肉が。もぐもぐ。
「いろはちゃん、御塩取って〜」
「うん。…はいどうぞ」
「ありがとう〜!」
テーブルにはバレー出場のメンバーの6人。ロリと湊の絡みは実にほほえましい。
焼肉食べ放題よりイチゴ取り放題のほうが合う光景だがな…。
そしてロリよ、塩とはなかなか渋いチョイスだな…。
「陽斗〜!そっちが落ち着いたらこっちにも来てくれ〜!」
「肉焼きはまかせろー!」
ハルが何故か焼肉奉行と化している。この店の火力はいったいどうなっているんだ。
そんな忙しいハルの口にふーふーした肉をあ〜んしている紫暮。うらやましいッ!!
そんな二人を見て箸が止まっている湊。うん。肉が美味い。
行くぞ焼肉王。肉の貯蔵は充分か。
40分後。
「くそっ…肉の貯蔵はバケモノか…!」
「そう…食べ放題とは無限への挑戦…!」
「腹が…」
「…もう…焼けません…」
「zzz…むにゃ」
「まだだっ!まだ終わらんよっ!!」
食べても食べてもキリがない戦いに戦慄する俺。
お前実はリア充アレルギーなの?と言いたくなる様子の壊れかけの紫暮。
お前女子だろ、無理すんなよのギー太さん。
焼きすぎて樺地と化したハル。バーニング波動肉を食らい過ぎたようだ。
ギー太さんの膝で眠るロリ。どっちも羨ましい。
孤軍奮闘、湊彩羽。前半戦で溜めたパワーを解放し、俺を上回る勢いで肉に食らいついている。
死屍累々だ。
「湊。もうこいつらは戦えねぇ。火力も落ちた。箸でも焼ける」
「うん。ここからは私たちで」
「…行くぞっ!」
「…うんっ!」
生き残りは二人。ロマンチックの欠片もない二人の戦いが始まった。
…あまりの泥臭さにカットしますけどね!まあ、美味かった。
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「うぐぅ…一歩を踏み出すのがこんなに辛いなんて…」
「お、おい湊…ちょっと肩貸そうか?いくらなんでも無茶だろ、あの量は」
「いやね…食べ放題と聞くと少しでも多く食ってやろうと貧乏精神が…ごめんっ」
「おう、抱きつくな歩けん」
まさか湊がここまで自制心の無いヤツだとは思わなかった。食い過ぎだバカ。
「いいか湊…痛みや苦しみというのは限界からのサインだ。痛みや苦しみを乗り越え、限界を超えることは出来ても、それは何かを代償にするということだ。要するに無茶するなバカ」
「はい…反省してま…す…」
「…大丈夫か?ちゃんと帰れるか?」
「無理」
「ですよね」
…まぁ、彼女に無理をさせたのは俺たちでもあるし。今日の試合の恩返しもあるし。
動けるようになるまで、面倒見てもいいだろう。
「はーい、みんな注目!!」
委員長が解散の音頭を取る。
「みんな今日は本当にお疲れ様でしたー!優勝できてとてもいい思い出になったと思います!
優勝したバレー、野球、いや、クラス全員へ感謝の言葉を贈ります!みんなありがとう!」
…リア充め。拍手が上がる。やめろ湊、俺の肩を連打するのは。
「それじゃあみんな、今日はここで解散です!気を付けて帰ってねー!また来週!」
「「「お疲れ様でしたー!!」」」
長い一日が終わる。え?これだけで18レス使ってるとか嘘でしょ?
各々が帰路につく。電車組、自転車組。電車組は絶対に寝る。
「お疲れ、二人とも。…大丈夫かそいつ?」
「ハル。まー、こいつの馬力ならそのうち回復するだろ」
「馬力言うなー女子力ですー」
「はいはい」
「…バカップルかお前らは」
「バカ言え、どう見ても酔っ払い上司を抱える部下の構図だろうが」
「…ま、お前なら大丈夫か。時間やべーからそろそろ行くな。」
「おー、じゃあな」「ばいばーい」
ハルのチャリが遠ざかっていく。…早っ!あいつチャリ漕ぐの超早ぇ!
電車組の紫暮やギー太さんとかはもう帰っている。辺りには俺たちだけだ。
「…悠希くん、電車じゃないの?」
「俺は徒歩だよ。お前は?」
「…私も今日は歩き。自転車パンクしちゃってさ」
「じゃあちょっと遠いんだな?」
「…うん」
腕時計を見る。20時30分。22時には補導の時間だ。
「ね、ちょっと近くの公園まで行こうよ」
「歩けるのか?」
「おぶって」
「…はい」
「んふふ」
店の裏のあたりに小さな公園があったりする。
…夜の公園に男女が二人?…怪しいシチュエーションだな。
湊をおぶって(略)。背中にあたる云々とか知りませんから。
二次元じゃないのでちゃんと重いですよ。二次元キャラってお前病気じゃねと言いたくなるスタイルのキャラいるよね。
「…今悠希くんヘンなこと考えたでしょ?エッチなんだから」
「いや、脂肪より筋肉のほうが重いというのを身をもって理解したというか痛いやめて」
「ああん?」
「やめろ!髪を引っ張るなハゲる!」
-
「あ、そこで降ろして」
「人を車みたいに使うな。…ベンチでいいのか?」
「うん」
ベンチに湊を降ろし、俺も座る。…食べ放題のあとにこの運搬はなかなか来るものがある。
一息ついた俺の膝に襲い掛かる重み!かいしんのいちげき!悠希は120のダメージを受けた!
頭突きかと思ったら湊に膝枕をやらされていた。かなりびっくりした。
「…世話の焼ける妹みたいだ」
「悪い気分じゃないでしょ、おにいちゃん?」
「俺はシスコンじゃない」
「そうじゃなくって。…まぁいいか」
「?」
何が言いたかったのだろうか。
…俺が湊の世話を焼くのが悪い気分じゃない?どうして彼女はそう思ったのだろう。
さっきのおんぶはともかく、こうして彼女の髪を撫でているだけなら悪い気分じゃないが。
湊は猫みたいに鳴いている。腹痛い腹痛いと。…構図以外猫要素とか無かった。
「ねぇ」
「うん?」
「悠希くんは私のこと好き?」
「…俺が出会って一日で『この出逢いは運命だったのさ!君が好きだ!』とか言うヤツに見えるか?」
「ふふっ。何それ。じゃあ私に恋愛感情とか抱いてないんだ?」
「さっきのは遠回しにNOと言ったつもりだったんだが」
偽物の笑顔で、彼女はそう訊いた。
俺は確信している。彼女は俺の好意の矛先になんて全く興味が無い。
俺に意中の相手などいないという確認でしかないし、その実、彼女は答えまで解って訊いているのだ。
それはいったい何のためなのか。それだけが、なぜかまるで分からなかった。
「ならさ、どうして私にここまで優しくしてくれるの?」
「…今日世話になったから。感謝のつもりだ」
「そっか、それは嬉しいな」
彼女の横顔には笑顔の仮面が張り付いたままだ。
辺りに落ちた闇を、風が運んでいく。公園には俺たち二人しかいなくて、この箱庭からは抜け出せない。
「じゃあ質問を変えるね。」
湊は寝転がって、俺の顔をまっすぐに見つめてくる。
猫は闇に溶けて、狼の牙を晒した。
「君は私を憐れんでない?」
突然、湊の雰囲気が変わる。伸ばした両手は俺の首を捕らえて逃がさない。
彼女の瞳は突き刺さる刃物のように俺の身動きの自由を奪う。
だが何より、彼女の言葉が俺の頭を切り裂いていた。
「…憐れむ?俺が?お前を?」
「そう。憐れみ、同情、慈悲…可哀相な子だと。少しでもそう思わなかった?」
「…湊、お前…」
「私、知ってるよ。君が嘘をつけない人だってことぐらい、もう気付いてる。
だからね、その沈黙は肯定だ。君は私に同情したから、ここまで優しくしてくれてる、そうでしょ?」
「…」
身動き一つ取れやしない。
逃げても殺される相手の前なら、逃げるという選択肢は消滅するだろう。
湊が身体を起こす。部室の出来事を思い出すぐらいの距離。そこからさらに近づいてくる。
「自然に生まれ出る優しさがすべて純粋なはずなんてない。
責任も覚悟もない優しさはつまり、同情から生まれ出るもの」
湊の言葉は熱を持って俺を責め立てる。
昼間とはまるで別人。どれだ。どれが本物なんだ。
湊いろはのことを、俺は何も知らない。
「だから……」
近づいてきた彼女の顔は、俺の頭の横、俺の左肩に縋り付く。
「どうして、ただの他人のためにそこまで優しくなれるの?」
湊いろはの涙の理由。
この夜に気付けなかったそれを、俺はいつか忘れずに思い出し、そして気づくのだ。
自分の右手がどれだけ無責任だったのか。
酷く幻想的なくらいに街の音は聞こえなくなった。
二人だけの箱庭。初めから答えなんて、そのどこにもありはしなかった。
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Not a real world -悠希の日記-
『球技大会の思い出』
ひどい一日だった、
何か書き留めるべきことがあればこのノートに記録する俺だが、何を書くべきか忘れてしまった。
ググールとかにあるよね、「何を検索しようとしたか忘れた」とか検索する奴。さすがのググール先生もそんなん知るかよ。
何だっけ?紫暮があーんしてくれなかったことか?湊をおぶったことか?湊に抱き着かれたことか?湊を膝枕したことか?
…おお、羅列してみるとものすごいリア充に見える。だが哀しきかな、焼肉食べ放題の後なので臭いとか油とか(省略されました。)あんまり書くと湊さんに後ろから刺されちゃうよ!
何だったか思い出せない。いや、どれが大切だったのかまだ分からない。
一つだけ。俺はこれから湊いろはの傍にいる義務があると思う。
彼女のことは何も知らない。彼女のたくさんの言葉の意味も意図も、俺はちゃんと解ってやれていない。
でも、あのとき彼女に向けた右手だけは間違いなんかじゃない。そう信じている。
だからこそ俺はこれから考えなきゃいけない。
あの公園で、湊が泣いた理由。湊が問い詰めた理由。俺が右手を伸ばした理由。優しさの理由。
他人事だって割り切ってもいい。今までそうしてきたはずだ。
だけどどうしても。湊彩羽の顔が頭から離れないから。
もういい、今日は疲れた。明日は土曜だし寝るぞ、もう寝るぞ。
こんな現実に疲れさせられたんだ、いい夢見させてくれよな。
最後に。案外バレーも面白いです。
右手の責任 了
-
※このレスは本編ではございません。作者の落書きです。
キャラ設定が迷走中。そりゃ行き当たりばったりで書いてたらね。
暫定キャラ設定集。この設定は変更されることがあります。
Sakurai Yuki
櫻井 悠希。主人公。帰宅部。
一見すると真面目系クズ。その実ただのクズ(自称)。
生きて行ける程度にしか勉強しない。つまり一夜漬けスキル持ち。
身体は低スペック。スポーツにおいては競技の経験が無ければ勝ち目がない。テニス経験者。
特技は潜入、仮病、逃走。あらゆる余暇をゲーム、ネット、サブカルに費やす。
根が腐っていないのが唯一の救いである。
ミディアムくらいの黒髪を寝癖による自然加工が彼のジャスティス。
Eto Haruto
衛藤 陽斗。友人A。帰宅部。
学力については悠希と同程度。
身体能力においては学年トップクラス。
高校生活においては悠希に負けないほどのクズ。趣味もほぼ悠希と同じである。
言うなれば悠希の良き遊び仲間。そしてその実態は兄貴分である。
Misono Shigure
御園 紫暮。俺の嫁。帰宅部。
え?男?嘘でしょ?というぐらいに女らしい男。本作のメインヒロイン(嘘)
白い肌、華奢な体躯、流れるような柔らかい髪。抱きしめたいぞ、ガンダムゥ!
詳細不明。気安くゲームで勝負を持ちかけるとガチで潰されるから気をつけろ!
日々悠希の煩悩を刺激する男の娘。可愛すぎて悠希は俺に惚れてるんじゃねえ?と勘違いさせられる。
あまりの可愛さに作者は紫暮攻略ルートを作りそうになる。
Minato Iroha
湊 彩羽。よくわからない人。帰宅部。
帰宅部室の4人目の利用者。バレーにおいてはチート級。おそらく経験者。
どう見ても腐女子です、本当にありがとうございました。彼女が活躍すると作品名が「ゆるほも」になります。
どうもヘタクソな作り笑顔が目立つ子。素の状態なら笑顔には何の違和感もない。
何をやってもクソ真面目な自分が嫌いで、本気じゃなくて気楽に生きたいけど無理な人。
年齢に不相応なほど精神的に発達しているのではという説がある。タイムリープしてるんすかね。
一見するとリア充女子組なのに内面からにじみ出る何かがそれを妨げている。
ギー太さん。本作のメインヒロイン(嘘)。軽音楽部、ギター担当。
悠希が本名を忘れたがためにこのような呼び方が二人の間で定着してしまった。
伸ばした茶髪が不良っぽい。球技大会を経て悠希からは好印象である。
ロリ。影よりも薄い何か。え、いたの?ごめん、小さくて気付かなかった担当。
え、私のセリフ少なすぎ…?(4箇所のみ)
悠希がロリコンじゃないがために雑に扱われる本作で最も不憫な存在。
-
#8 11月
あれからひと月の時間が流れた。
「おーっす。…あれ?湊だけか」
「おっ、悠希くんこんな時間にどうしたの?」
「あー買い物だよ買い物。駅前の古本屋でラノベを数冊」
「へぇ」
「反応悪っ。ちゃんと2chでオススメされてたヤツを厳選してローコストハイパフォーマンスをだな…」
「妹モノ?」
「俺はそういう憧れありません。…湊は何してたんだ?」
「………秘密」
「そっか」
「訊かないの?」
「女の子の秘密は訊いちゃいけないって婆ちゃんが言ってた」
「ふふ、何それ」
物事は流れに沿って動いた。
帰宅部4人は次第に部室に溜まるようになり、今では湊もクリハンをやっているぐらいだ。
毎日集まるわけでも集合するわけでもなく、ふらっと立ち寄り寝転がる。起きたらみんないる。そんな感じ。
それがなんとなく家族の居間みたいで好きだった。
湊も俺たちに馴染んでくれた。贋物めいた笑顔は、まだ消えていない。
あの夜の出来事なんて無かったかのように湊は笑うし、俺も何事もなかったかのように笑った。
だが、ニセモノは偽物だ。今の俺と彼女の関係は、あの球技大会の日とは全く別物だった。
「…まぁお前のことだから言わなくてもわかってるだろうけどさ。無理すんなよ」
「へ?いや、大丈夫大丈夫」
「そうか?疲れてるって顔に書いてあるぜ」
「…まいったなぁ。そこまでわかる?」
「まあな。ジンジャエールでも飲むか?」
「お、ありがたい。ちょうど炭酸飲みたかったんだ」
湊は16時から18時ぐらいまで部室に来ないときがあった。
なんとなく気になって探してみてしまったことがある。そして全部理解した。
湊はあの球技大会後に受けたバレーボール部の勧誘に揺らいでいる。
彼女は帰宅部だ。何度も体育館に入り浸って練習を見学したり混ぜてもらったりしてるくせに、まだ入部届けを出していない。
おそらく今日もバレー部の練習に混ざってきたのだろう。ジャージ姿で少し汗ばんでいる。
もっとも、俺が首をつっこむような話では無いのだろうが。
そう思っていたら、湊のほうから話を振られた。
「悠希くんはさ。どうしてテニス部に入らなかったの?続けてたら今頃は青春街道まっしぐらじゃん?」
本日のお前が言うなスレはここですか…という言葉を呑みこみ、改めてそれを考える。
そしてやっぱり、春に出した答えは変わっていなかった。
「俺はさ、テニスを続ける理由を見失ったんだ」
「ふうん?」
「小学4年生からテニススクールに通って、でも全然必死にならないで。
部活なんて時間の無駄だとも思ったが、やめないで引退まで持ちこたえた。
どうしてかわかるか?」
「テニスが好きだったからじゃないの?」
「違う。俺は、好きでテニスを始めたんじゃない。好きでテニスを続けたんじゃない。」
家族がやっていて近くにあったから初めてみた。やめるのはなぜかずっと恐ろしかった。
その理由はずっと分からなくて、本当はすごく簡単だったのだ。
「——俺はな、無個性な自分になるのが怖かったんだ」
俺は捻くれていて、他者よりわずかに聡かったのだと思う。
この答えを出す不幸な子供がいったいどれだけいるのだろう。
たとえそれが真実だったとしても、大人になっても気付かない者すらいるだろう。
「何をやっても平凡以下。同じ土俵で同級生と戦っても、上には上がいる。俺は勝者にはなれないと気付いた。」
悲しいことに、俺は上ばかり見てしまう真面目な人間だったのだ。
そんな人間が抱くのは永遠の敗北感と劣等感。
「このまま平凡に育って、社会の奴隷となって死ぬ。そんなのは嫌だと思った。それが怖かった。
だから多くの子供がするように個性を作った。要するにキャラ付けってやつさ」
思春期とはつまり、平凡からの逃避である。
そして自己を高め、あるいは非行に走り、他者に認められたがる。
「特技なし、趣味なし。そんな自分を変えるために、まずは特技欄を埋めてやろうとした。
だから近くにあったテニスを始め、中学でも帰宅部という無個性が怖くてテニス部に入った。」
そうやって、好きでもない運動を続けている。家に帰ってゲームをしているほうが余程楽しい。
人の色眼鏡は恐ろしい性能だ。オタク、腐女子、DQN、ニート、童貞…たった一語で人の価値は霞む。
趣味ゲーム、特技ゲーム。自己紹介にそう書くわけにはいかないから、テニスを続けた。
「そうして高校に入り——疲れたんだ。自分を偽ることに。人の趣味に優劣をつける世間に。
だからどうでもよくなった。馴れ合うための友人も、意味を見いだせない勉強も、テニスも。
これが俺の高校での堕落だ。その結果がこの部屋だ」
だから湊いろはを見ているのは辛い。
作り笑顔を振りまいて多くの人間と仲良くやっていこうとする姿が、昔の自分を見ているようで。
挨拶する友達が30人いても、今や誰とも連絡すら取ってないからな…。安心と安全のフェードアウトです。
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「青春なんぞかなぐり捨ててもいい。自分を偽って手に入れた青春なんて、偽りの青春だ。」
世間体。自分の価値。他者からの評価。
それらを気にし始めると、どこまでも気になってしまう。
何故ならそれには答えがないから。自分はどうあがいても他者にはなれない。
完全な他者の視点で自分を見ることはできないのだ。だから果てがない。
それはひどく冷たい道だと思うのだ。
「…これは逃避かもしれない。だから正しいと声を大にして言えることじゃない。それでも」
「わかった。わかったよ。…変なこと聞いてごめん」
あの夜、湊は言った。悠希くんは嘘がつけないと。
だから彼女はわかってるはずだ。俺の後悔の言葉がすべて、湊いろはに対する非難であると。
「ごめんね。私、まだ悠希くんのこと勘違いしてた」
「何がだ?」
「…球技大会の一戦目の前、私は君に見当違いのセリフを言った。覚えてる?
悠希くんは好きという気持ちだけで行動できる人だって言ったよね。あれ、間違ってた」
部室には俺たちにしか分からない重い空気が立ち込める。
言葉に隠した否定。お互いに解っていても口には出さないその意思。
知らないほうがいいこともある。知ってしまえばこの空気には耐えられなくなる。
「悠希くんは純粋無垢な子供じゃない。むしろ逆だったんだ」
彼女は間違えていたのだ。櫻井悠希は、好きという気持ちだけで行動できる子供じゃない。
その気持ちも、勝利を勝ち取る泥臭さも捨ててしまった、悲しい子供なのだと。
その後はお互い、何も話さなかった。ただそばにいた。そうする義務だけを感じていた。
「…悠希君、昼休みだってのにウチの部室の前でいったい何をしてるんだ?」
「アリの生態観察かな」
「そうか…入るか?ストーブくらいしかないが、ここよりは暖かいぞ」
「ありがとう、ギー太さん」
秋も深まり、非リア充にとっては苦難の連続である冬の足音が近づいてくる。
クリスマス、初詣、バレンタイン、ホワイトデー…リア充爆発しろ。
きっと大学生になるころにはさらに苦しいシーズンになるだろう。
ところでバレンタインの一週間後にもらった手作りチョコっていったいどういう意図があるの?呪い?
軽音楽部室のコンクリの床を歩き、ボロい椅子に座る。…これどう見ても美術室のなんだけど。
「で、何してたんだ?あたしに何か用なら教室でいいだろう?」
「あぁ…二人きりで話したいと思ってな」
「なん…だと…?」
「冗談だ。ちょっと一人になりたくなって歩いてみたらここを見つけてな。夜中にけーおん!を見ていた親父のことを心配していたらギー太さんに見つかったというところだ」
…いや、あれはちょっと怖かった。親父が和室で電気もつけずに無言でけーおん!を見てる様子は…。
居間のテレビで見ていいアニメじゃないと思います。違法ダウンロードがあれだからパソコンで「けーおん 動画」とか検索しちゃダメだぞ。
ギー太さんはやれやれといった体でギターを取りだしセッティングを始める。
「…あんたなんかあったのか?お姉さんが相談に乗ってやるぞ」
これが女の勘ってやつですかね。ちょっと高性能すぎじゃないですかこれ?
ギー太さんのイケメンっぷりに全俺が泣いた。
「お前すごいな。普通のやつならまず言い出さないセリフだぞ」
「その視方は捻くれてると思うが…なに、あんたはいいやつだからな。その腐り始めた顔をどうにかしてやれないかと思っただけだ」
「お前すごいな!?普通のやつならまず言い出さないセリフだぞ!?」
傷ついた。はい俺傷ついたよー。軽々しく暴言を吐いちゃダメだってどこぞの実況プレイヤーが言ってました。
あと女子のいう「いいひと」ほど都合のいい言葉は珍しいぞ。ダメージでけえなこれ。
ギー太さんのドSっぷりに全俺が泣かされた。
「ははっ、ジョークだジョーク。まあ、先月とは違う顔だとは思うが」
「球技大会のことか?」
「そう。なんか考えすぎて疲れちまったよーって顔してるぜ。んで、誰かと喧嘩でもしたのか?」
-
「喧嘩じゃない。表面的に見たら何も変わってはいない」
「あんたまさか…紫暮に襲い掛かったの?」
「違うわ!」
「じゃあ湊のヤツに告白してフラれて友達でいようねとか言われたのか?」
「さっきからお前俺の扱い酷いな!?」
「何だ違うのか」
「当たり前だ。もしそうなったら俺は気まずさのあまり向う3か月は登校しないぞ」
「無駄な忍耐力だな…」
喧嘩でも諍いでもない、すれ違いと言ったところだろうか。
あの公園でのわずかな時間が、俺の頭から離れてくれない。
どうして湊はバレー部に入らない?
あいつはいったい、俺に何を期待しているんだ?
彼女にとっては単純なことなのかもしれないけど、俺にはさっぱり分からない。
珍しく帰宅部じゃないやつと話すんだし、せっかくだから聞いてみよう。
「…ギー太さんは、なんで軽音部に入ったんだ?」
「え?…そうだなぁ…」
「けーおんの見過ぎか?」
「スティックで殴るぞコラ」
「痛い!投げるな!」
この部屋、やたら木片が落ちてると思ったら全部ドラムスティックの欠片かよ…。
普段ここでスティックはどんな扱いを受けてるんですかね。
「…あたしはたまたまだよ。家に親父のギターがあったんだ。アコースティックの。
親父はもう20年近く弾いてないらしいが、そのギターがあんまりにも綺麗でさ。
弾いてやろうと思ったんだけどこれがぜんっぜん弾けないんだ。でかいし弦が硬いし太いし。
ホントに無理だったから諦めた。でもギターはやってみたかった。
そこで敷居の低いエレキギターってわけで、ちょうどここに軽音部があったからここで経験積もうと思って入ってみたってところさ」
ギー太さんは本当にギー太さんだったらしい。
それだけの入部理由で軽音部一年でトップクラスの腕前という評判とは凄い。
憧れだけで。夢を見るだけで。望めば手に入る。
ギー太さんは凄い。
「だけどな、あたしはいつかギターを手放すよ」
そう思ったのに、耳を疑った。
こんなギー太さんを見るのは初めてだったと思う。
「…どうして?」
「あたしは“持たざる者”だって、もう気付いてるんだよ。あたしじゃどんなに努力しても、もう夢は見られない」
それは。俺が数年前に思ったことだった。
「ウチのギターボーカルはな。一日で曲のコピーをほとんど完璧にできるんだ。自分のパートも、あたしのパートも。あたしが気付かないチューニングのずれもすぐに気づくほどの絶対音感持ちだし、リズムも音程もまるで狂わない。完璧なんだよ。機械的じゃない、職人的な完璧さだ。そのくせな、ウチのメンバーのだれよりも楽しそうなんだ。あいつはきっと、持つ者だよ。いずれ、どんな形になったとしても音楽に触れ続けるやつだ」
そのときのギー太さんは、どんな気持ちでこういったのだろう。
嫉妬じゃない。これは嫉妬じゃないんだ。
野球好きな子供が、メジャーリーガーを見て嫉妬するだろうか?しないだろう。
ギー太さんが彼女に抱く感情は、嫉妬じゃなく…尊敬や憧れというべきものだ。
もちろん、こういったときに嫉妬を抱く人もいるだろう。
でも違うんだ。他者にそんな悪意を向けられない人間なら、違うのだ。
「しかも可愛いし!モテるし!なんなんだあのチート嬢は!!」
うがーっ!と叫びながらギー太さんはギターをかき鳴らす。迫力すげーなー。
…もしかしてこの人。
「…ギー太さんってさ」
「なんだ!」
「友達少なかったろ」
「—————」
あ、図星らしい。
「分かった。分かったよ。茶髪に軽音部でギター…お前はつまり」
「あ……あ…」
「高校デビューしてみちゃった派だな?」
「うがぁぁぁぁぁ!!言うなぁぁぁ!!」
ギー太さんは俺に背を向けるとジミヘンみたいなアドリブをピロピロ弾き始めた。お前上手過ぎ。
推察。ギー太さんは中学時代は黒髪を伸ばして眼鏡かけてた系の人だったんだろうか。帰宅部だったかもな。
いやでもだとしたらすごいな。ここまで様になってるんだもん。
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「はぁ…はぁ………悠希くん。」
「おう」
「それでもね、持つ者は期待され続けるんだ。嫉妬でも羨望でも尊敬でも、どんな形でも期待されてしまう。その重圧を、忘れちゃいけないよ」
「…才能は、ただの便利な特権ではないと?」
「そういうことさ。才能ゆえに望まない役目を押し付けられることだってある」
望まない役目。
そうそれはたとえば、素人の中で無双状態の湊みたいな。
「大方、湊のことで悩んでるんだろう?」
「……別に」
ギー太さんの女の勘凄いよー。
姉御とか呼ぶべきか、ギー太の姉御。
「あの子を心配してやれること。それはあたしからあんたに対する期待だ」
そんなギー太さんは、俺が持つ者だと言った。
「自分に正直になりなよ。でないと人間腐っちまうぜ」
俺にできること。俺が望むこと。俺が望まれること。
そういったことに悩まされるということはつまり、これが持つ者の重圧なのだろう。
湊ができること。湊が望むこと。湊が望まれること。
そこまで推し量れるほど、俺は湊のことなんて知らなかった。
「おかえり、湊」
「た、…ただいま。何してるの?」
「専業主夫ごっこかな」
「ちょっと意味がわからないです」
またある日の部室。ハルと紫暮と俺の3人だった部室に、湊が来た。
エプロンをつけて湊をお出迎えしてみた。新婚生活の幕開けですかね。
ちなみにこのエプロンはガンプラの塗装で制服が汚れないようにするためのものである。
「お疲れー今日もバレースネークか?」
「…そのスネークって何?」
「潜入任務かな」
「そういうのじゃありません!」
「湊さん、この部屋臭くない?」
「うん、薬品臭いけど…」
「は?お前わかってないわー。このプラモ用接着剤から溢れだす芳醇な香りを楽しめなくてどうするんだよ」
「芳醇じゃないし!というか換気しなさい!」
「おい悠希、いい加減接着剤のフタ閉めろ。俺それで倒していまだに机の上にこびりついてるんだからな」
「奇遇だな、俺もやったことがある」
「そっと閉めておこう…」
「グッジョブ紫暮ちゃん」
接着剤のあるある。
ガンプラで遊んでたら足が折れたので無理矢理接着剤で固定して立たせる。
手の甲のパーツがすぐ取れるので固定したらライフルを持たせられなくなった。
接着剤でくっつけてたのを忘れて再びポキッとパーツが折れる。
そして大人になるにつれてポーズの固定のためだけに接着剤を乱用し始める…。
「そんな苦しい戦いの中、接着剤は戦友だという認識を持ち始めた小5の夏」
「分かるわ。隠者の背中の折れたリフターが治ったときは感動した」
「この二人絶対プラモで戦闘ごっこしてたよね…」
「ジャキーンビシュウゥジャキーンって?うわー」
「湊、その笑い方やめてくれ。いま心に突き刺さるグングニルのようなものを感じた」
だって安いんだもん…。
頑丈さや動きやすさを求めたら高価になって、プラモなんかで遊びたい年齢層には手が出なくなる。あれの売れ行きの問題は間違いなくそれだと思います。
-
「…っていうか悠希くんわざわざ箱ごと持ってきたの?」
「さっき駅前のビックリカメラで買ってきた。この街にプラモ屋が不足しているのは確定的に明らか」
「…飲食業界が無駄に出店しすぎなのは同意だけど」
「あれだけたくさんの店があっても高校生が入る店は結局298円ラーメンとマックのみだっつーの!もっと本屋とゲーム屋とスーパーを増やせ!」
「ゆ、悠希くんの求めるものが分からない…」
その実態はラノベとゲームとチョコレートですが。
この季節はバッカスチョコが食えるからいいよね。洋酒入りなので酒に弱い方はお気をつけてください。
「しかしこの部室も私物化が進んできたな…」
「菓子に飲み物、そしてリボビタンD…いまなら震災が起こっても数日は持ちそうだな」
「というかなんでリボD?」
「イニDみたいな略し方した紫暮よ、リボDの持つポテンシャルを甘く見てはいけない。そうだろハル」
「ああ。悠希をこの高校に合格させたのはこいつの力らしいからな、リボDの」
「これを飲むと解答スピードが跳ね上がるからな。ある種のドーピングとすら言える」
「きたないなさすが悠希きたない」
「ローリスクハイリターン万歳ですわ。湊も鬱になったら飲めよ。うっかり家出とかしそうになるから」
「あっはは…まあそのときが来たらね」
「ついに突っ込まなくなったね湊さん」
もうリボD用の冷蔵庫とか買いに行きそうな勢いである。あ、それいいかも。
数ある栄養ドリンクの中でもコスト的に求めやすく飲みやすい。そんなリボDが好きです。
ところでプラモデルを趣味にするのは予算的にキツイ。
単体で1000〜3000円オーバーは覚悟する必要があるうえ、各種マーカーペン、すみいれペン、ヤスリにニッパーに接着剤…果てがないのがこの世界である。
ぶっちゃけてしまえばその金でゲームを買ったほうが時間は潰せる。
勉強をおろそかにする帰宅部にとってはいかに効率的に時間を潰すかが重要だ。
「ハル…何か面白い遊びを考えようぜ」
「ゲームは?」
「やはりオンゲーじゃないから飽きがくるんだ…早くPS3返ってこないもんか」
ちなみにうちのPS3は電源ランプが黄色く点灯するアレが起こって修理に出した。
猛者どもはこれをドライヤーとかヒートガンで解決するらしい。すげえな。
「そうだ、いいことを思いついたぞ」
「どうした悠希いきなり。塗装ずれそうになったわ」
「紫暮を女装させてカップルっぽく振る舞って街を闊歩するというのはどうだろう」
「え」「ちょっ!?」「…あれ?案外面白そうだった」
「いまや湊もいるこの帰宅部、女性用下着を用意するのも容易いことだな、ははは」
「…いや私かよ」「えっ」「…紫暮が買いに行っても余裕そうだけどな」
我ながら素晴らしい提案である。服はしまむーかユニグロで済ませば安上がりだろう。
クリスマスが来月に控えるウルトラリア充シーズン、冬。これを一人で過ごすのは至難だ。
「非リアをあざ笑う最高の気分を堪能してやるぞぉ!はーっはっはぁ!」
「…本音は?」
「紫暮を彼女扱いできるならそれはとっても嬉しいなって」
「やっぱりかよ!」
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「では超絶美少女紫暮ちゃんを作るために全面的な協力を頼むな、湊」
「ちょっと用事を思い出した」
「なんだと助手!貴様にはやる気というものがないのか!」
「いやありませんって…ていうか何さ助手って」
「あ、それともアレか。俺とハルに女装作業をさせていけない展開にさせようと企んでいるというわけか」
「そういう期待もしてませんっての!」
「どうした湊。お前にしてはノリが悪いな?生理か?リボD飲むか?」
「いーりーまーせーんー!」
今日の湊はノリが悪い。
作り笑顔の得意なやつが笑わないなんて滅多にあることじゃないぞ。生理か。
「女装…ほぅ…」
「陽斗くん悪い顔してるよ」
「いやなに、一度ぐらいは紫暮の本気を見せてもらいたいものだと思ってな」
「なんで僕の本気=女装なのさ…」
「はっはっは。今更何を言ってるんだろうなぁ紫暮は?」
「陽斗くん大丈夫?バッカスチョコでも食べたの?」
あっちはあっちで…なんだハルは。酔ってるのか?
貯蔵しておいたバッカスでも食ってたのかな。後で買い足しに行かせよう…。
「…あのね、悠希くんに陽斗くん。君たちは重大な誤解をしている」
「湊さんが何やら語りだした…」
「ふっ…誤解だと?いったいなんだというんだ湊?」
「お前ら仲良いな」
俺が指摘してからこの態度である。やっぱり何かあったんだろうか。
作った声で話す湊。こいつなんでもありすぎじゃね。
「それはそもそも紫暮ちゃんは現時点で既に男装した女子にしか見えないという事実だ…!」
「…そうか…!つまり紫暮は中身は乙女ということか…!」
「鬼才現る」
「いや性別偽って入学できるわけないでしょーに!」
「そんなこともないぞシグレ。学ランを着る女キャラなどいくらでもいる」
「悠希くんのカバーしてる範囲が広すぎるよ…」
そもそもシグレは男である…わけねーだろ!
見た目は男装した女子。脱いだら性別はシーグレット。中身は女みたいな男。
いったいどんな層に受けるんだろうこの子…。仕方ないから俺がもらっていきますね。
「…はぁ。湊が鬼才すぎて紫暮が女装する必要がなくなってしまったな」
「逆に湊も男装するというのはどうだろうか?はい、これでシグレと同じだな」
「なんでや!なんでここで私に振るんや!」
「だって何もない部室ですることなんて紫暮を口説くぐらいしかないじゃないか」
「やっぱりホモじゃないか」
「俺はホモだと言ったな。あれは嘘だ」
「なん…だと…?」
「この二人仲良いね?」
「夫婦漫才に今更何言ってるんだよ紫暮」
-
「よかったな湊。夫婦だってさ」
「…夫婦ねぇ…」
「何故白い目で俺を見る。言っておくが俺は幸せな結婚生活を夢見るようなやつじゃないぞ」
「おお、さすがの悠希くんのクズっぷりだ。結婚後はいかにつかず離れずの距離を保つかが重要とか言い出しそう」
「悪いかよ。欺瞞に満ち溢れた夫婦の愛情表現、爺さんに早く死んでくれと言う婆さん。そういうのを知ってて未来に希望なんぞ持てるかっつの」
親族を見ていればよーくわかる。
寝たきりの祖父を面倒臭そうな顔で世話する祖母。夫に嫌味ばかり言う叔母。
離婚だとか慰謝料がどうとか騒ぐ従妹。いやホント近寄らないでください…。
愛情に永遠などありはしない。結婚は責任と義務と足枷の発生だ。
いまどき20歳くらいで結婚して50年先まで見据えられる人間なんているはずもない。
何故なら愛情が有限だと、当人たちも気付いているからだ。
結婚しても相手に何か問題があれば離婚する。付き合っても何かあれば別れる。
結婚もカップル成立も、決してゴールではなくスタートラインだ。
ゴールがあるならそれは死。自分か相手が死ぬまで、責任を負い続けなくてはならない。
確固たる愛情、永遠の愛情。そんなものはありはしないということだ。
「男女平等になった現代と男尊女卑の昔じゃあ結婚の意味がまるで違う。
家に帰ったら嫁が実家に帰っていた。定年退職したら離婚させられた…。今や女性は強い。
電車の痴漢冤罪もそうだ。権利を叫べる女性は強くて恐ろしい。
そんなのを俺の砦に死ぬまで置いておけ?それなら独身で死んだほうがマシだ」
俺の家は俺が守る。自室にはベッドとPCとTVとPS3があれば十分だが。
そんな俺に3人は白い目を向ける。
「悠希の女性不信も大概だな…」
「え?悠希くんってホモなの?」
「…あれ?湊さん気にするところだいぶ違うと思うよ?」
「うーん?そうかな?」
「いやその仕草はとっても可愛いけれど、唯一の女性である湊さんが悠希くんの女性不信に残念がる場面じゃないの?」
「あぁ、そういうことか。やー、確かに残念だと思うけどね、悠希くんの頭が」
「おい」
「でもこの部室に女の子は二人いるし!ね、紫暮ちゃん!」
「僕男だけど…」
「またまたそんなこと言って〜実はついてないんでしょ!うりゅあ!」
「うりゅあって何!?やめて!僕のベルトを緩めないで!」
「おお…まるで神話の再現のように神々しい光景だ…」
「ハル、お前の頭も残念だと思うわ。同意してしまう俺も大概だけど」
-
じゃれあう女子たちを眺めながら、ぼーっと思い巡らす。
なんと言われようが、一般大衆の女性を俺は信じられない。
どう頑張っても理解できないし共感できない。
恋愛対象以前に、友人としてもクラスメイトとしてもだ。
仲良くなるにもまず疑ってしまう。こいつはどんな考えで俺に近づくんだろうな、と。
例えばクラスメイトがいっしょに出かけようと言ってきたとしよう。
男だったら何の問題もない。何の危険も無い超安全だ。ノンケに限るが。
でも女子だったら?という男の心理を女子はまるで理解していないと思う。
俺と仲良くなりたいという言葉は先に何があるかが本人じゃなきゃ分からない。
友人として仲良くなりたいのか、恋愛対象として見ているのか。
それを訊くわけにもいかないし判別のしようもない。
驚くべきことに、彼女らの中では「好き」という言葉にすら「友達として」という逃げがあるのだ。
ほめられて嬉しい→友達として。 好きだよ→友達として。 君は特別→友達として。
そんなことを平気で言う女性を見てきてしまったから。
人を平気で傷つけられる女性を見てきてしまったから。
基本的に女性はずるいという前提でなければ、恋愛なんてやっていられない。
ちなみにこの論を広げていくと女性不信が人間不信になります。俺はその一歩手前。
「悠希くん?どうかしたの?」
いつの間にか戦闘は終わっていたらしい。
紫暮が顔を赤くして倒れていて、ハルはプラモ制作に戻っていた。…ハル冷静すぎだろ。
湊が乱れたジャージを直しながら俺の顔を覗き込んできた。久方ぶりにちゃんと目を合わせた気がする。
女性が信用できない。でもそれとは別に、湊が分からない。
白状しよう。部室でハルとシグレと一緒に“湊さん”のことを相談したとき。
『——君は私を憐れんではいないか?』
俺は確かに、上手に笑えない湊さんに優しくしたいと思ったのだ。
それは同情や憐れみと呼ばれる類の感情だ。
なら、この部室に来てもらったのは。あの日彼女を送ったわけは。あのとき手を握ったわけは。
「湊。どうしてこうも人間社会は生きづらいんだろうな」
そのさきを考えるのが怖くて、なんとなく言葉を紡いでいた。
突拍子もないセリフだったからきっと笑われるだろう。
なのに湊は真面目な顔をして言う。
「そりゃあ誰だって自分本位だもの。誰だって自分が可愛くて自分の利益が欲しくて動くんだ。
少なくともそれが資本主義だよ。競争を強いられる社会だから、他者はすべて敵とも言える。
そんな考えは大きな利益を生み出す代わりに、息苦しい社会を作り出す。…と私は思う」
こいつはくせえッー!文系の臭いがプンプンするぜッ——ッ!
というのはさておきだ。湊のキャラが豊富すぎて少し忘れかけていたけれど。
俺も湊も基本的には同じ立場の人間だったのだ。
「ふつう」に迎合できない、だから孤独を選び、だから作り笑顔で笑う、ふつうじゃない人間。
俺の持つ悩みを解ってもらえるのは、もしかしたら彼女だけなのかもしれない。
「分かる気がするな。『良い人になるな いい人は損をするだけだ』と賢人は言うからな」
「教科書には書けないことだけどね。主義が違えば教科書に書かれることだって変わる。
だから道徳の教科書は胡散臭く思えて、ニュース速報まとめは正しく思える」
「ものすごい例え方した気がするけど正論な気もする…。」
ていうかお前ν速見てるのかよ…お前は俺か。
湊は俺との距離を詰めて、話声を小さくする。これでハルには聞こえなくなっただろうか。
「ねぇ、悠希くんみたいな人は生きづらい社会だよ?可愛い女の子に頼まれたら連帯保証人とかなりそうだし、お金貸しそうだし、こき使われる夫になりそうだし」
「…あれ、反論できない!?妙に納得してしまった自分が怖い!」
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可愛い女の子と言われて紫暮で想像してしまったら見事に納得できた。
「それでも君は優しくあるんでしょ?困ってる人がいたら助けちゃうんでしょ?」
「いや別に…」
「じゃあ例えばだ。路上で泣いてる幼い女の子を見つけた。周りにはその子の親らしき人は見当たらない。誰もその子に手を差し伸べる人はいない。君は彼女を見なかったことにして通り過ぎるの?」
思い返すと湊もだいぶ口調が変わってきたなぁと思いながら聞いていた。
何の迷いもなく素直に考えてみる。出た答えは。
「泣きやむのを待って警察に突き出すかな」
「その言い方だと逆に悠希くんが危ないからね!?」
「…いや、どういう声のかけ方しても俺の年齢によっては通報されるからな…?」
「むぅ。確かにそんな話も聞くね…。じゃあ駅の改札あたりで転んだ盲目のお姉さんだったら?」
「助ける…かな。」
「ほら、やっぱり」
お前絶対あのスレ読んだろ…。
でも、思い返してみたら田舎に帰った時、迷子で泣いてる男の子を助けたこともある。
その子の母親にお礼を言われて嬉しかったし、警察を呼んでくれたおじさんとの握手は温かかった。
「待て待て。お前はいったい何が言いたいんだ?
困ってる人を助けるのが悪いとでも言うつもりか?」
「そんなことないよ。ただ助ける人は損するねってだけ」
「……………つまりこうか。善悪の問題じゃない、たとえそれが正しいことでもするなと。
正しいだけじゃ俺は苦しむぞって、そう言いたいのか?」
「さすがは悠希くん。理解が早くて助かるよ」
そう言って目を細めた湊は、あの夜と同じだった。
——正しいだけじゃいけない。
それは俺の存在を根底から覆す言葉だった。
悪くなければいい。誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけなければいい。
それが俺の生き方だと思う。…裏を返せば、この部室に侵入するのはセーフということだ。
何故なら誰にも迷惑をかけないから。俺の考えが甘いのかもしれないが、これは悪ではない。
湊は俺より俺を知っている気がする。
確かに俺は誰も殴らないし誰の悪口も言わない。誰も傷つけず誰の迷惑にもならない。
例えば俺のクラスでいじめがあったなら。
いじめられている生徒がいたら友達になる。それがその子にとっては優しさだろうから。
いじめている生徒がいたら友達になる。それが彼らにとっては迷惑じゃないから。
そうしてどっちつかずの立場を守り、誰にも責められない居場所を作る。
決して直接止めることもせず、決して直接手を出すこともない。
誰とでも仲のいい八方美人。…ほんの半年ぐらい前までは、それが俺の理想だった。
それが正しい生き方だと信じていた。
なら今は。環境が変わっても、その考えに大きな変化は、無い?
話を戻そう。某国の出来事だ。
倒れている女性を助け起こしたら、女性が警察に加害者だと密告し、多額の慰謝料をゆすられる。
優しくて正しい良い人を犠牲にしてのうのうと生き延びる。そんなことが起こる社会。
社会は汚い。正しさを持っていても、昇進できるわけじゃない。
警察なら例え本当は冤罪でも逮捕して検挙率を上げたい。
法の道を歩む人間なら、法律という正しさは人を貶める武器になってしまう。
どんなに綺麗に見える社会でもそれは人間社会だ。複雑で歪んでいて醜く汚い。
正義漢には生きづらすぎる世の中なのだ。
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「君は優しすぎる。見てて、ときどき怖くなる」
「怖い?」
「ほら、トラックに轢かれそうな子供を見つけて危なーいっ!ってやりそうで」
「やらんわ!」
「——じゃあここにいる誰かだったら?」
「…ずるいだろ、それは」
いちいち痛いんだよ、湊の言葉は。
痛くて、中身を晒すのが怖くて、真正面から向き合うのが恐ろしくなってくる。
でも決してそこまで追い詰めることはない。それが彼女だ。
「ほらね。君は自分で思ってるよりもずっと——」
「悠希くんっ!リア充気分を味わいたいならすぐ目の前に女の子がいるじゃないかっ!」
「…うん?」
「紫暮……お前がそこまで空気を読めないやつだとは思わなかったぞ…」
完全に事後だった紫暮が起き上がって、妙な話をして湊の声を遮った。
そういえば紫暮の女装の件は俺のエセリア充気分を味わうためだったか。忘れてた。
「生きていたのか紫暮。貞操は無事か?」
「僕の貞操とかどうでもいいからっ!リア充ぶりたいなら湊さんを連れて歩けばいいじゃないか!」
「おおーそれは名案だなー」
酷い棒読みだった。
「ハル…他人事だと思いやがって」
「そりゃそうだろ。俺はそこまでしてそんな気分を味わおうとは思わん」
「というわけで企画は悠希くんをリア充っぽく仕立てる計画に変更だね!僕に任せてよ!」
「何故かノリノリだな紫暮…」
「メンズへの憧れが噴出してるんじゃないの?」
「…止めないのか?」
「…?私はオサレな悠希くんと手を繋いで歩けばいいんでしょ?余裕余裕」
「そういう男に慣れてるみたいな発言はやめような。ビッチに見えるぞ」
「な…違う違う!…演技は苦手じゃないってだけだよ」
ものすごく嫌な発言を聞いたな…。
偽デート中に湊がどんなセリフを吐こうと全部演技だって片づけられる予防線である。
どこから取り出したのかメンズファッション誌をわくわくした目で追うシグレ。
ちなみに表紙は金髪の長い髪の男が上半身裸でポーズを取っている写真。
おい。それファッション誌だろ。表紙から服着ないでどうするんだよ…。
そしてその雑誌からいったい何を俺に取り入れるつもりなんだよ。
ガイアが俺にもっと輝けと囁いている風のちゃらちゃらした雑誌なのはわかる。
「そうかーなら今から練習しておこうかー」
「急に棒読みで何か言い始めた…」
だがチャンスだ。湊の話を刺激的な台詞でぶった切ってやろう。
「湊。君が好きだ。俺と一緒に出かけよう、二人でな」
「えっ…う、うん………………いいよ…」
「…お前顔の表面の体温までコントロールできんの?役者目指せよ」
「できるかっ!突然だったからびっくりしたんだよバカぁ!」
バカとは…湊からこんな暴言が出るの初めて聞いたかも。
ギー太さんの影響だろうか。あとで厳しく苛めてやろう…。
「…嘘から出た真…か」
「紫暮…さすがの乙女スキルだな」
「うるさいよ陽斗くん」
「最近お前の俺の扱い雑すぎないか!?っていうか前にも俺こんなセリフ言った気がする!」
「黙せハル」「部室では静かにねドンキー」
「俺は猿じゃねぇ!!」
そんなこんなで湊と出かける雰囲気になっていた。
わりと気恥ずかしいが…まあ大丈夫か。
湊のことは分からない。
未知が好意に変わる日が、いつかは来るのだろうか。
湊が言おうとした言葉も、分からなかった。