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「仲良くなろう」というのはおそらく善意だっただろう。
ただ方法を間違えてしまったのだ。
正しさを定めることより、正しさを運ぶことの方が難しい。
男子生徒は紫暮との距離を強引に縮めようとした。
他の仲の良い生徒と同じ距離を、紫暮に強引に押し付けた。
他の生徒もそれが適切だと思って、同じ距離を取ろうとする。
紫暮は、抵抗も嫌な顔もしない。流されているだけ。
そんな紫暮に纏わりつく男子を、少年は無責任な拳で殴り飛ばした。
「——陽斗くんが、いきなり暴れたらしいよ。」
「ハルが?」
「何も言わずに、無言で投げ、殴り、蹴り。帰宅部の癖に誰よりも強いから、誰も逆らわなかった。誰もその事件を口にしなかった。」
「…そりゃ怖いな。なんでまたそんなこと」
「彼、どこのグループにもいなくて、どこのグループにも現れるような微妙な立場だったんだってさ。
たぶん、強引に動けるのは自分しかいないと思ったんだと思う。」
「…救ってやれるのは、自分だけってか」
『もしお前が大切な人を護りたいと思ってしまったら、きっとお前は自分を犠牲にする。』
いつかのハルの言葉だ。
お前だって犠牲にしたんじゃないのかよ、バカ。
その男は誰よりも強く、同時に誰よりも不器用だった。
その拳は無垢だった。怒りも悪意も無い、ただ無垢な拳。
紫暮はその恐ろしい男が自分を救おうとしたという善意を認め、彼を味方と認識する。
そして彼を巻き込んでしまった事に、随分心を痛めた。
その痛みに、陽斗は気付いてやれない。
上辺の状況を動かすことは出来ても、表面上の解決は出来ても、物事の本質まで見抜く眼力が彼にはなかった。
それに紫暮は気付いていた。だから、本当の友達とまでは思えていなかった。
陽斗が紫暮のそばにいるため、他の生徒は彼を恐れて近寄らなくなった。
紫暮はまた、独りになる。
ルチアはその屈強な男が無言で暴力を振るうのを見た。
陽斗の姿が、恐ろしい父親の姿に重なる。
ルチアは男性恐怖症だった。
「仲の悪い両親だったそうだよ。いつも喧嘩ばかりして、一人娘のあの子はとばっちりを受けたり、肩身の狭い思いをした。
音楽に出会ってだいぶ明るくなったけど、家庭内暴力というトラウマ、それに起因する男性恐怖症自体は治っていなかった。
ルチアもまた、表面上の解決しかされていなかったんだ。」
ルチアは男に近づけない。
例え恋慕の情を抱いた相手でも、ある一定の線引きを越えた瞬間に恐怖を感じてしまう。
仲良くなるのも、近づくのも怖かったのだ。
「だからこうして、香苗に近づくわけよ。可愛いし、それに昔のあたしに似てる」
「いやいや『だから』って順接だよね?男が無理だから私に近づくって私の身体狙われてない?」
「勿論」
ルチアはニヒヒッと笑った。幼さを残した、彼女の自然な笑顔だ。
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「でも香苗ちゃんも忙しそうだし、あたしも友達作らないとなぁ」
「…」
「…どう?今ジェラシー感じた?」
「まさか」
「でもあんたも友達いないじゃん?」
「………」
実際のところ。
香苗はルチアのことが好きだった。
自分を退屈させず、自分と近い姿から成長し、目一杯生きている。
そんな彼女に憧れていた。でも、素直にはなれなかった。
唯一の友人に対して態度を変えたら、何かが変わってしまうのではないかと恐れて。
変化を恐れて何もしない。彼女もただの子供だった。
「…ほっといて」
「もう。でも、いつか矯正してあげるから」
「…はぁ…」
紫暮は一人で下校する。
彼は打ち解けあえる、友達が欲しかった。
「…はー」
ルチアは一人で下校する。
彼女は打ち解けあえる、女の友達が欲しかった。
「…?」
ルチアは前方を歩く少女の後ろに、怪しい人影を発見する。
暗色の服装に身を包んだその男は、ジャージ姿の少女と距離を空けて歩く。
その挙動に不信感を覚え、彼女も距離を空けて追跡する。
ルチアはある疑念を抱いた。紫暮はある悩みを抱えていた。
——ストーカーである。
「…はぁ」
紫暮は二度目のため息をつく。まただ。陽斗がいないときに限って現れる。
他の生徒と絡まなくなり、陽斗がいないときは一人で下校するようになった。
その頃から、ずっと背中を見られているような感覚がしていた。
あるときは路地を使って撒いたりしたが、何度も現れることから紫暮はストーカーの存在を確信していた。
「…うわぁ」
…ロリコンでストーカーとかマジないっしょ…。
ルチアは心の底からキモがった。自分が男なら肩を掴んでぶん殴りにいくレベル。
だが彼女はか弱い女子中学生で、さらに男性恐怖症だ。
でもそれ以上に、ルチアは行動的だった。
「!?」「!?」
突然背後からけたたましい音がして、男と紫暮は振り返る。
そこには防犯ブザーを鳴らす茶髪の少女の姿があった。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、ルチアは防犯ブザーをかかげて男の方へ歩いていく。
言葉は必要ない。少女の目的は明らかに不審な男に向けられている。
自分が悪いことをしている自覚があれば逃げ出す。無いなら焦らずルチアに事情を聞きに行く。
その二択で白か黒かが分かる。そして男は横道に走って逃走。…勝った。
ルチアは防犯ブザーを止めると、不安定なフォームで逃げ去る男の背中に。
「——二度と来るんじゃねェぞこのロリコンストォーカァがあああぁ!!!!」
大声で。罵声を浴びせた。
ルチアの前方20mでは、紫暮がぽかーんとあっけに取られている。
その姿を確認し、——ルチアはへたり込んだ。
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紫暮は察した。この少女が勇気を出して、ストーカーを退治したことを。
…ここで勇気を出さなくてどうするのか。自分から向かえないから、誰かが傷ついてしまうんだ。
紫暮は勇気を振り絞って、その少女のもとに駆け寄る。
「あの…あ、ありがとう」
少女に手を貸そうとすると、少女は突然紫暮に抱き着いた。
「!?」
ルチアはそのまま紫暮を抱きしめる。というより縋り付く。
低い涙声でルチアは呟く。
「…あぁもう…怖かった。マジ怖い。二度とやらないから。ぅ…」
それが二人の出逢いだった。
「その後二人は仲良くなった。でもそこには一つだけ嘘があった」
「嘘?」
「紫暮は聡かったんだ。ルチアが男に怯えているのをそれだけで見抜いてしまった。
ルチアが、紫暮が女でストーカーにつけられていると考えたのも見抜いた。
そして嘘をついた。そこまで理解しながらも自分が男だとは告げなかった。」
「…友達が、欲しかったから?」
「…きっとね。」
紫暮は女を演じ、ルチアに線引きをした。
制服のときは絶対に会わないようにしたし、自分のクラスや親しい人間の存在は絶対に教えなかった。
自分が男だとバレてしまえば、彼女はきっと自分を恐れる。
それでも鈍感だったふりをすれば、自分の正当性は主張できる。
そんな言い訳をして、紫暮は確かに「嘘」をついた。
自分が欲しがったはずの「本当の友達」の可能性を、自分から潰したのだ。
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「紫暮、今日は?」
「ううん、大丈夫だよ」
「そうか。…お前最近、妙に付き合い悪いな?」
「そ、そんなことないよ、じゃね」
探りを入れてくる陽斗をあしらいながら、紫暮は待ち合わせた場所へ駆け出す。
「牧田さん」
「やぁ、紫暮ちゃん。今日はどこか寄る?」
「ううん、今日は帰ろう」
「よーしよし、帰ろう」
ルチアはにひひと笑って、紫暮の手を取る。
その手の温もりに、紫暮は顔をほのかに赤くする。
「ごめんね、牧田さん。いつも付き合わせちゃって」
「謝んないでよ。無理にこうさせたのは私の方!そういうときはありがとうって言うの!」
「あ…ありがとう。」
「どーいたしまして。か弱い女の子はあたしの右ストレートで守るのさ!」
ルチアは最近、格闘技の本を読みだした。
もとから好きだったのか何かに影響されたのかは知らないが、シャドーボクシングをする彼女の目はなぜか真剣だ。
「ねぇ紫暮ちゃん」
「うん?」
「あたしさ、最近格闘技に興味があるんですよ。空手とか」
「うん」
見てりゃわかる。
「でもね、それは守るための力であって、人を傷つけるための力じゃないの」
「うん」
力そのものに善悪は無い。それを決めるのは人間だ。人が変わってしまうから力が染まるのだ。
「だから、ね。ちゃんと強くなりたい。女の私でも、大切なものを守れるくらいには。」
その姿はまっすぐすぎて。紫暮は憧れた。憧れたけど、目を背けた。
紫暮を家まで送って、ルチアは一人で帰路につく。
女が男を家まで送って女が一人で帰る。そのおかしさに紫暮は当然気付いている。
でもその間違いを直そうとしない。嘘を曲げない。
そのおかしさにルチアは——。
少女の背後に、かすかでも確かに感じられる存在。
「………いる」
紫暮の知らない事実。
ストーカーは狙いをルチアに切り替えていた。
ルチアがストーカーに気付くのはこれで4度目だ。
向こうは気付かれてもやめる気はないらしい。何かしらの目的がある。
今日はどうやって撒こうかとしたとき、異変が起こった。
後ろに男がいない。
いったいどこに消えたのか、今日は諦めたのかと考えていると別の方向から声をかけられる。
「こんにちは」
振り向く。背の高いその男は、無精ひげを生やしたその顔を、柔らかく歪めて、笑った。
「——っ!」
恐い。恐い。怖い怖い怖い!
すくみ上るような恐怖を握りつぶしながら、ルチアは一転駆け出す。
脚が痛くても、涙がこぼれそうでも、走った。
男がいつまでも追いかけてくるような気がして、家を目指して走り続けた。
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「………」
真っ暗な部屋で毛布にくるまり、ルチアは震える。
恐い。もう外に出たくない。もう嫌だ。
呪文のように恐怖を繰り返し、いつしかそれが掴めなくなる。
恐怖の濁流の中で見えたのは、守りたい友人と、そして。
過去の弱い自分に戻ってしまう恐怖に、ルチアは勝てなかった。
過去を大事にすることは、未来を創ることと同義である。
ルチアは、大事に出来なかった。ありもしない自分の理想像を作り出し、演じようとしていた。
嗚呼、何て、嘘。
翌日、大雨が降った。
薄暗い夕方、いつもの待ち合わせ場所。そこに彼女はいなかった。
紫暮はルチアが雨を嫌がって先に帰ったのだと思い、足早に帰路に着く。
『紫暮、今日は?』
表情一つ変えず、陽斗は今日も訊ねてきた。
それを紫暮はいつものように申し訳なさそうな顔をして断った。
ルチアと帰る予定だったからだ。
でも彼女はいない。陽斗もいない。
また、一人の帰り道。
大丈夫だ。こんな雨にストーカーなんて出るもんか。
紫暮は強気に水溜まりを踏み抜く。
『そっか…』
そこで何故か、断ったときの陽斗の何か諦めたような表情が、胸に刺さった。
「え…」
雨を受けて轟く川の上。
橋の向こうから、紫暮のよく知る少女がふらふらとした足取りで歩いてきた。
「牧田さん!」
紫暮は傘も差さないで濡れきったルチアのもとに駆け寄る。
ルチアの目はどこか虚ろで、雨のせいか潤っていた。
「どこ行ってたのさ、こんな大雨の中傘も差さないでっ」
紫暮は叱責しながら傘の中にルチアを入れる。
鞄からタオルを出そうとしていると、いつかと同じ重みが身体に重なる。
「…?牧田さん?どうしたの」
あの時と同じように、ルチアは紫暮に縋り付く。
低い涙声はしかし、諦めの色が混じっていた。
「ごめん、紫暮ちゃん」
「あたし、人を刺しちゃったよ」
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大雨が降った。
薄暗い夕方、いつもの待ち合わせ場所。
そこを通り越して、独りで歩いていく。
傘なんて持ってなかった。髪も服も鞄も簡単に濡れた。
「こんにちは」
雨が降るのは分かってた。
アイツがこうして接触してくるのも、なんとなく分かっていた。
昨日の声掛けが、アイツが動こうとしている証拠だから。
「傘も差さずに一人?危ないよ、川も近いんだし」
ああ、危ないね。
川に放り込まれるかもしれない、あんたが。
「僕と一緒に来ないかい?温かい飲み物があるよ」
根暗だと思っていた男は、思っていたよりまともな振る舞いをした。
同じだ。今のあたしと同じ、演じているだけの自分だ。
「こんなところにいたら風邪を引くよ」
あんたは分かってない。
今のあたしの行動自体、既に事を起こしているということに。
「さぁ」
男の手が、伸びる。
それは父親と同じで。大きくて、恐ろしい、男の手だったのだ。
「いっ!?」
怒りも憎しみも、恐れも過去も乗せて。
そいつの顔面に右ストレートをくれてやった。
右手の甲が赤く染まる。男は鼻血を出していた。
痛い。人を殴るってこんなに痛いものなのか。
あぁ、この身体が男だったら。こんな奴殴り続けられるのに。
男だったら紫暮も守れて、ふつうに、ふつうにあの子の友達になれたのに。
「…いったぁ…やってくれるじゃないかお嬢さん」
男の癖っ毛が雨で垂れて、鼻から下が赤くなって、なかなかに気持ち悪い形相になっていた。
男が血を拭う瞬間、もう一度その距離に踏み込む。
痛みが奔る右手で顔にもう一撃。男が手で防いだのを見て、無防備な腹に肘でもう一撃。
姿勢が崩れたところを蹴り飛ばす。さっきの不意打ちほど、動揺はしていないようだった。
「いいねぇ…いいよ、そういうの。昔を思い出してそこの川に飛び込みたくなる」
この男の事情など知ったことではない。
容赦はしない。このまま殴り倒してやる。
バカな女だと、あの子は笑うだろう。
弱かった頃の自分に戻るのが恐い。奴を倒して、男なんて怖くないと思いたい。
そんなバカみたいな理由で、ストーカーに喧嘩を挑むなんて。
「!?」
男が反撃に出た。
早く、リーチの長い、重い蹴り。とっさに防いだ腕がジンジンと痛む。
「なんだ…攻め方は良かったのに、守りは素人だな」
重すぎて簡単にのけぞってしまう。男はすかさず踏み込む。
右と見せかけて、低い左の拳が腹に突き刺さる。襲い掛かる嘔吐感を必死でこらえる。
そこで脚を崩されて、あたしは簡単に転んでしまった。
仰向けで見上げた重い空に、黒い男。伸ばされた右手が、細い首を掴む。
負けた。やっぱ、恐いままだわ。
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「惜しいね。筋はいいが、経験不足だ」
雨は顔色一つ変えずに降り続ける。
「僕の妹もそうだった。けど知らない男に拉致されて、消えてしまったよ。」
「…何、それ。今自分がやってること、そのクソ野郎と同じじゃない」
「うん。そうだ。いくら捜しても見つからないし、あの日から僕の心は空っぽだ。
だから同じことをすれば何か見つかって、僕は救われると思い立った。」
「…」
恐怖の濁流が繰り返される中、あたしはさらに恐ろしい文言を聞いてしまった。
「…同じ、こと?」
「うん」
男は昨日と同じ、柔らかく、恐ろしい笑みを浮かべた。
「君を連れ去る。妹と同じ君が何を教えてくれるのか、楽しみだよ」
「…お断りだよ」
目の前の男は、異常だった。
ただのストーカー心理じゃない。答えを見つけようともしていない。
馬鹿らしい模倣で、答えを作り出して、自分を救おうとしている。
「そうか。なら残念だが、あっちの子を連れ去るとしよう」
紫暮の笑顔が、浮かんだ。
ただ、それだけだった。
こんなはずじゃ、なかったのに。
右手が、温かい。
冷たい雨が、冷やしていく。嘘みたいな真紅が、雨と混じって道路に染みていく。
「あ、あ゛あ゛あぁ…!」
男が崩れ落ちる。何も考えないで、逃げるように駆け出す。
足が痛い、頭が暑い、男の手の触れた首が、気持ち悪くて断ち切りたい。
雨が痛いくらいに、冷たかった。
崇高な決意。絶対的な正しさ。そんなものなんてなかった。
ただ、恐怖に耐えきれなかっただけ。ただ、衝動に身を任せただけ。
本当に、なんとなく。父の部屋から盗み、忍ばせておいた折り畳みナイフ。
気付いたら、それは男の腹に突き刺さっていた。
私は結局。弱いままだった。
無責任な右手に、朱は簡単には流れなかった。
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「…だから、ごめん。あたし、あんたの友達になる資格、無いや」
ルチアは泣いていた。
自分はあなたを裏切ってしまったから。私の手は血に濡れてしまったから。
彼女は全てを打ち明けてから、そう告げた。
紫暮は自分を責めた。自分が無力だから、取り返しのつかないことになってしまった。
ルチアを、大事な友達を傷つけた。
嘘をついて、前に進もうとしなかったから。
「ごめん、牧田さん。僕、嘘ついた」
だから迷いに迷って、前に進もうとした。
この子が男を恐がったのに。自分が女ではなく男だと告げたら。
彼女は怖がるだろう。けど、このまま嘘をついていたら、きっと彼女はいなくなる。
裏切っていたのは、自分の方だ。
「僕は、本当は」
そこまで出かかっている言葉が、重い。
決意を固めるのは簡単だ。それを実行するのは難しい。
理想や夢、目標なんていうのはこれだから恐ろしい。
「男の子、なんでしょ。」
出るはずの言葉は、ルチアの口から出た。
「ごめんね。約束破っちゃった。ちょっとした出来心で、あんたのことを人に訊いたの。」
紫暮は、自分を呪った。
ルチアは男が恐いくせに、自分が男だと知ってたくせに。
それでも一緒にいてくれて、こんなにボロボロに傷ついて。本気で、自分に向き合っていた。
それに比べて自分は。
恐れて、嘘をついて。汚い約束で嘘を守って。
欲しがっていた物を、素直に欲しがらずに。壊すのが恐くて、前に進もうとしなくて。
僕は、臆病だ。
「…僕、は、」
「いいの。あたし、ホントはこんな奴じゃないんだから。
ホントは香苗ちゃんみたいな暗い奴なのに、必死で演じてるだけ。私も嘘つきだから。」
言葉が、出ない。
喉がビックリするぐらい動かない。視界が震えるのは、きっとみっともなく涙を流しているからだ。
「でもさ、男でもあんたのことは好きだし、ちゃんと仲良くなりたかった。
男なんて怖くなくなって、ちゃんと向き合いたかった。それだけは嘘じゃない」
僕も、そうだった。
それを壊したのは、僕だ。
「…僕…は…」
「でも、でも、私の手は血に濡れちゃったから。私があたしを赦せないからっ!」
ルチアは一度も紫暮を責めなかった。
最後まで、自分だけを責めた。
「だから。…さよなら」
大雨が去った。
ルチアは、どこにもいなくなっていた。
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その後、陽斗は紫暮から全てを聞いた。
何も言わずに、再び現れるかもしれない男から、紫暮を守り続けた。
あの男は二度と、彼らの前に姿を現すことは無かった。
翌日、ルチアは来なかった。
しばらくして、担任は寂しそうな目で牧田流知愛の転校を告げた。
紫暮はルチアを救えなかった。嘘つきで、臆病だった。
陽斗は何も出来なかった。真実を見極める力が無かった。
山下は。
「私は高校に入ってから、突然消えた唯一の友人から電話で全部聞いた。
夏頃には、紫暮とも話したよ。泣かれたけど」
山下は、無垢だった。
友達という存在に不慣れで、素直になれず、何も分からなかった。
だから憧れて、追った。髪を染め、ギターを始めた。ルチアのようになりたくて。
「だから悠希君が辛そうにしてたとき、私たちは不安だった。
悠希君の中に、それぞれ何かを見て、助けたいと思った。」
ああ、そうだ。
紫暮もハルも山下も。皆俺を手伝ってくれた。
ハルが俺と友達になってくれたのも、紫暮を呼んだのも。たぶん、このことが根底にあるんだ。
俺たちの始まりは、俺の知らない物語だった。
「…元気になってくれて、良かった。」
「あ、ああ。心配掛けたな。」
ふと落ちる沈黙が、山下との距離を意識させる。
「それでね、実は冬休み中、ルチアが帰ってきてたんだ。」
「え」
なんとなく察しがついた。妙に集まりが悪いと思ったらこれか。
「紫暮と3人で会ったり、それぞれ個人的に遊んだり。
音楽で元気、取り戻してくれたんだ。しかも紫暮に愛の告白しちゃってた」
元気すぎだった。
「クリスマスのライブの日も来てたから、もしかしたら悠希君もすれ違ってたかもね」
そう言ってくすくすと笑う山下の姿はとても可憐で、心の底から温まる笑顔だった。
心の底から、動かされる。
「…だから、ね。ルチアと悠希君に、私たちは救われたんだ。」
本当にずるいくらいに、動かされる。
「ねぇ悠希君、…私…」
「待った。リビング戻ろうぜ、そうだ戻ろう」
「?何で?」
「そりゃ…………うん、喉が渇いた!食後のコーヒー!飲みたい!」
「?うん、じゃあ何か淹れるよ」
「よし戻ろうさぁ戻ろうすぐ戻ろう」
「どうしたの?」
言えない。
紫暮と牧田さんのアツアツなお話とかクリスマス前の山下の告白染みた言動とか思い出して、
さらに彼女の暗くて静かな寝室ですぐ横で可愛く笑う山下に、不覚にもものすげードキドキしてたとか絶対言えん。
言いそうになったけどどう考えても何か起こる。
今度のコーヒーは熱かった。
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#17 終わりと始まりの物語
明るいリビングに戻れば何事も無かったの如く雰囲気が戻ると思っていた時期が私にもありました。
「ねぇ悠希君」
「うん?」
「1月だね」
「1月だな」
「つまり来月は2月だね」
「ああ、2月だな」
「………2月だね」
「………」
「………」
「何!?いったい今の間に何の意味を込めた!?自分から話振っといて2月だねリピートして話止めるって何!?」
「………ぽっ」
「ぽって何!?」
「……ふふ」
「か…っ、からかってんのか?何なんだ」
そのままのノリで可愛いと叫びそうになった。
何なんだ。何でコイツは今の流れで頬染めてんだよ。意味が分からん。
「…好きだなぁ」
不意に落ちた甘い声が、考え疲れた頭を痺れさせる。
右肩に柔らかい重み。
ふっと眩暈がして、向かいにいた山下は隣に座って寄りかかっていた。
「…こういうの。バンドの子たちとは違う、ただ温かいの。雰囲気?っていうのかな、すごい、安らぐ」
「…なんだそれ、いつの間に俺セラピー開発してんだよ。コーヒー溢すなよ」
「ふふっ」
「…ったく」
昔話を終えた後の山下香苗は、それはそれは安らかな表情をしておられました。
普段のキャラ完全崩壊。口調もどっか行った。たぶんこれが地で、中学の頃のなんだろうけど。
というか普段のアタシキャラってあれ絶対牧田ルチアのパクリだろ。茶髪といいギターといいどんだけ好きなんだよ。
「友達少なかったからさ、男の子とこんな仲良くなれたの初めてだしさ」
「お、おう」
なんか急に凄い台詞言われた。
安心しすぎてこの人絶対台詞選んでないよ。あざといぐらい直球でアピール来るんだけど。
「よく分かんないけどさ、また甘えさせてよ」
にひひ、と山下は笑った。
きっと牧田さんに負けないぐらい、素敵な笑顔だった。
「……………」
「わ。…………何?」
「何でもない」
そんなとこに寄りかかられてそんな顔で笑われたら。
直視できなくて、うっかり山下の頭を撫でた。
芽衣とは、一つの季節が終わった。
いつに会えるかは分からないけど、彼女は遠い存在になった。
彼女への恋心は、気付いたら見つからなくなってしまった。
湊とはすれ違ってばかりだ。
お互い変なところで似てるから。お互いに踏み込めない距離を作ってしまっている。
彼女は、共に歩んでいく同志だ。責任を取るべき、特別な存在だ。
要するに。
俺は山下香苗に惚れかけていた。
終わりと始まり 了
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#18 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
3学期の生活は、俺の知らないものだった。
「…え?」
「だーから、野球部入ったっつってんの。春が来たら新入生が入ってくるだろ?その前に入部しておきたかったんだよ」
「え、いやだから、なんで」
「なんでってそりゃ野球がしたかったからだよ。ずっと待ってたんだ、心置きなく野球やれる機会をさ」
唐突に。ハルは俺たちから離れていった。
「…え?」
「え、えへへ…」
「お、おい紫暮…それ、どうしたんだよ」
「あー、あのね?僕はいいって言ったんだけど、昔の友達がどうしてもって言うから…」
紫暮が背負っているデカすぎるケースは、おそらくエレキベースのものだろう。
紫暮がこんなニヤニヤしながら思い浮かべる相手は、おそらく牧田ルチアだろう。
「せっかくもらっちゃったし、どうせならちゃんと軽音部でやろうかなーって」
唐突に。紫暮は俺たちから離れていった。
笑いながら、去って行った。「………」
この部室は、こんなにも広かっただろうか。
ハルと二人だった頃よりも、広く感じる。
部室では湊彩羽が、毛布を被って待っていた。
「…みんなは?」
湊は、俺をちゃんと見てくれない。
目を合わせないで、二人のことを訊いてくる。
この様子じゃ、二人からは聞かされていないようだ。
「…ハルは野球部で走り込み、紫暮は軽音部で山下から指導中」
ほとんど声に出さないで、湊はそっかと呟く。
今日の二人のクラスの様子から、なんとなく察してはいたのだろうか。
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「…私、帰るね」
湊はため息をついて、毛布を畳む。
「え、どうしたんだよ」
「何だっていいじゃん」
「そんなに俺といるのが嫌か」
「それは卑怯」
「お前に行かれると俺寂しいんだけど」
「それは女々しい」
「力づくでも行かせない」
「それは通報」
話は一向に進まない。
進まないけど、湊とこんな風に話すのは随分久しぶりだった。
最近、あまり向き合えていなかったから。このまま行かせたら、もうここで会えなくなる気がして。
その時俺は、…後悔するだろうから。
「…ふぅん、じゃあいてあげるよ」
気が変わったのか、毛布を広げて被り直す湊。
俺も倣って毛布を引っ掴み、買ってきたコーヒー牛乳をちゃぶ台に置き、適当に座る。
湊との距離は1mはある。うん、普通だ。
湊は正気だし、山下の距離は男友達に慣れてないから無防備なだけだ。きっとそうだ。
「じゃあ、昨日何してたか聞かせてもらいますか?」
「あ、やっぱ俺帰るわ」
「はい確保。」
気が変わったってそういうことかよ。尋問する気になっただけかよ。
湊は素早く俺の退路を塞ぎ、ついでに鍵まで閉める。
「で、何してたの?香苗ちゃんと二人で仲良く帰って?」
山下の部屋で二人きりで飯作って食べて暗い寝室でもの凄い話暴露聞かされてときめきのあまりリビングに逃げたらピッタリくっつかれて甘える宣言されて頭撫でて恋に落ちそうになりました。
…言えるはずもなかった。
「言えないようなことしてたんだ?昔の女のことは皆に話したくせに」
「いやあれ紫暮に話したのを聞かれただけだから。つか昔の女って言い方やめろ、芽衣はそんなんじゃない」
「芽衣さんって言うんだ?」
「あ」
そういえば。
テニスを再開したころから、湊には隠し事してばかりだ。
芽衣の名前も、東京での出来事も、その前日の山下との出来事も、昨日のことも。
別に紫暮にも話したし、話しちゃいけないのは紫暮たちの過去の話ぐらいで。
別に。話しちゃいけない理由は、無いはずだ。
でも俺は話そうとしなかった。湊の言うように、言えないことだと認識してたからだ。
湊に対して後ろめたさがあったからだ。
Why?
「………」
「どうしたの?黙っちゃ…あれ、熱でもある?」
「え?熱?」
「だって、顔真っ赤だよ」
「え?え?…は?」
いやこの部屋寒いし。寒いから。コーヒー牛乳も冷たいから。顔熱いとかありえないんだが。
ありえないんだが、額に汗をかいているし、手で触れると熱を帯びているのがはっきり分かる。
「…そ~」
「待った待ったやめろ俺の額に手を伸ばすな今なんか汗掻いてるしそれだけは!」
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「ほほー」
湊はいきなりニヤニヤしながら、俺の顔を角度を変えて見てくる。
随分嬉しそうだ。何、こんな顔見たこと無いんだけど。腐女子時代にその片鱗はあったが。
「ほほー?」
今度は疑問符を浮かべたと思ったら、また凄い勢いでニヤニヤし始める。
ねぇ今どんな気持ち?ねぇねぇとか言い出しそう。
「ほほー!」
「うぜぇぇぇぇ!何!何だ!何が言いたい湊ォ!」
完全に煽りモードに入った湊に思わず叫ぶ。自制心が足りない。顔の熱がまるで取れない。
「…ふふ、いや、ね?悠希くんのそういう表情見れたの、初めてだったから」
…俺たちはいつも、心のどこかで敵対してたから。
「…つい、嬉しくて。」
ちゃんと、距離を考えて来れなかったから。
急に意識したら、動揺したりするもんだ。
「……………」
何も言えない。口が動かない。
目が、離せない。呼吸も出来ない。
おい、何だこれ。こいつ金縛りの技とか使えたのかよ。
時を止めるスタンドか?いや湊動いてるし外うるさいままだな。
じゃあ、俺が固まってるだけか。
じゃあ、そういうことか。
紫暮には話せて、湊には芽衣と山下のことが話せなかった理由。
自覚なんて出来なかった、無責任な優しさと右手の理由。
悲しみの底で、見えなかったそれは。
俺は。
「湊」
湊彩羽を。
「何?」
……………………………救われなければならない。
「一緒に帰ろうか。」
「うん。」
俺はこの子のことを、知らないから。
知らないで愛するだけじゃ傷つくし、
『だから、……だから………っ』
きっと傷つける。
もう芽衣みたく、泣かせたくない。
あんな苦しみだけの涙をもう誰にも流させたくない。
ちゃんと向き合って。人を知る。
名前や姿、趣味や好きなもの。それだけじゃ、人を知ったとは言えない。
考え方、主義、大事なもの、苦しめているもの。それを共有して、認めて、受け容れる。
そのためなら友達にでも親友にでも恋人にでも俺はなろう。
無責任な優しさじゃない、誰にでも与えるものじゃない。
一人の人間に向けた特別なもの。
きっと俺はそれを、初めから持っていたのだ。
自覚出来ないほど深い、悲しみの海の底で。
「お前もバレー部に入りたくなったらさっさと行け」
「うん」
「けど俺は明日からもここにいるから」
「うん」
「俺は勝手にお前を待ってるから」
「うん」
「お前だけだから」
「え」
「ところでここから駐輪場まで暗いよな」
「う、うん」
「だから手を繋ごう」
「は、はい」
「帰ろう」
「うん」
同情なんかじゃない。
無責任でも、覚悟も意思も無い、やり場のない優しさなんかじゃない。
この右手は、今は確かに、湊にだけ向けたものだから。
「明日からも、ちゃんと来る」
湊は、微笑んだ。
12月。俺が忙しかった頃より前に戻れたと思う。
きっと今は、それ以上に。
右手のぬくもりは、さっきの熱よりも心地良かった。
-
#19 好意
平日。
朝登校し、クラスでは紫暮やハルと過ごす。ただ二人が部活に入ったのもあって一人でいる時間は増えた。
放課後は部室に足を向け、湊と過ごして一緒に帰る。
湊とは今までよりも仲良くなれたと思う。
態度が柔らかいし、毒を吐いてるときも小さく笑ってる。
突然雰囲気が変わって何かを問い詰めてくることもしてこない。
至って平和。良い奥さんを持って22連勝しそうなレベル。
一緒に歩く距離はいつかの芽衣と同じ。部室から駐輪場まではそれよりも近い。
ある日の駐輪場までの道。湊は歩調を落として訊いてきた。
「ねぇ、紫暮ちゃんと陽斗くんってさ」
突然あの部室を去ってしまった、二人の友人のことを。
「もしかして私たちに気を遣ってくれたのかな?」
「雰囲気悪い二人を部室に残しておく気の遣い方はもう勘弁してほしいもんだが」
「雰囲気?良いじゃん」
もう言って湊は、左手で繋いだ俺の右手を頬に当てる。
嬉しそうに頬を緩める湊を見ていると、こちらの気分も和らぐ。
「誰だよあの日マジ暗い顔して帰るとか言ってた奴」
「まったく、誰だっけねぇ人に帰るなって言っといて帰ろうとしてた奴」
「結局すぐ帰ったっけな」
「だったね」
自然に笑い合える。
この一年、こんな風に笑えた記憶が無い。俺たちは少し、寄り道をし過ぎた。
目の前にいる彼女はこんなにも、こんなにも。
湊は繋いでいた手をそっと離す。
「?どう…した、の」
何かを窺うように湊は俺の顔を覗き込んでくる。
風が、冷たく吹き付ける。
「え、ちょ」
ふわっと、彼女の髪の匂いが香った。
ゆっくりと、湊の体温が重なる。
優しく優しく、湊は俺を抱きしめた。
「………」
抱きしめ返す間も無く、湊は俺の右手を掴んで歩き始める。
「寒かったから」
それだけ呟いて、俺に顔を見せようとはしなかった。
まだ、頼ってはくれないみたいだ。休日。山下香苗氏の初めての男の友人であるらしい私めはまたしても彼女の部屋に召喚された。
「今日はご相談がありまして」
「ほう」
「お悩み相談といいますか」
「ほうほう」
「君に訊きたいことがあるといいますか」
「ほうほう…おう?」
ものの30秒で、先日と同じ状況になった。
リビングで目の前にコーヒーがあって右肩には山下が寄りかかっている。
自然すぎて止められなかった。何でこの子当然の如くこの距離にいるの。
「悠希君とはこれからも仲良くやっていきたいんだけど、不安が二つありまして」
「ほ、ほう?」
コーヒー甘い。空気も甘い。あと近い。
ヤバい。女の子に親友の距離感取られて窒息しそう。かゆうま。
「ルチアの真似して染めた髪だけど、これ変じゃないかなぁ?」
「え、不安に思う点そこかよ」
「うん…女の子は可愛い可愛い言ってくれるけど、男の子に訊いたこと無かったから」
「そうか…」
言われて、山下の顔を見る。
ミディアムの茶髪。アルバムに映っていた、長い黒髪。
すぐ近くだから目が合って、恥ずかしくて目を逸らしたくなった。
「う……あー、うん。可愛いと思うけど、ちょっと明るすぎかな」
「ホント!?………あれ?……あっれぇ…」
可愛いと言ったら喜び、その続きに疑問符を浮かべ、何故か睨んでくる。忙しい奴だ。
「…もしかして、湊ぐらいの色がいいって言ってるの」
「あ」
地雷踏んでた。流れ変わったな。
「あぁはいはい、明るすぎない茶色ね。…そういえば芽衣さんの写真も見たわ。湊と芽衣さんの髪色似てるね」
「をい」
確かに湊と芽衣の栗毛の髪色似てるけど。湊は山下より短くて、芽衣は山下より長いけど。
何故お前が芽衣のことを知ってる。何故お前が芽衣の写真を見れる。
「紫暮がねー、冬休み中に楽しく語ってくれちゃったからねー。あ、ルチアも全部聞いた。ついでにあんたの卒アルも見た」
疑問を口にする前にべらべらと暴露された。
卒アルって俺が髪切ったときのか。さらっと悪用されてたでござる。
さらに口調が悪化し始めた。怖い。そういう顔すると不良っぽくてビビるからやめろ。
「ま、待て。俺は別に湊や芽衣のことを考えて言ったわけではなくだな」
「ああそう、無意識下で好みに出てると? 」
ズバット並みにしつこかった。割と図星でもあった。
-
「まぁ仕方無いか。プロポーズしちゃうような相手のことなんて忘れられないもんなぁ?」
「…………いやいやいやいやちょっと今おかしいところあったでしょ何プロポーズって」
「えっ?芽衣さんと婚約したんでしょ?」
「してねぇよ紫暮の奴いったいどんな捻じ曲がった解釈暴露してたんだよ」
「じゃあどういうのが正しいの?」
「あー…それは…」
…言いたくねぇなぁ…。
湊に話せなかったように、山下にも話したくない。
ただ誤解はされたくないから。
「…離れていてもお互いがお互いを忘れないで、必要なときはちゃんと頼り合える関係」
「…」
「俺が芽衣と約束したのは、それだけだ」
小さいけれど確かに輝いている、クリスマスの約束。
芽衣は俺の味方になってくれる。
「…………………………悠希君ってさ」
山下は俺の誠実な返答を聞いて、俺の目をしっかりと見据える。
深く息を吸ってから、それを口にする。
「三股?」
「ちっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇよ!どこをどう解釈したらそうなったんだよ!」
「いやだってそれ女の子に言うのって、『アイラブユー』ってルビ振ってもいいレベルじゃないか。聞いてるこっちがどきどきしたわ」
月が綺麗ですね=アイラブユーよりよっぽど分かりづらいんですが。
「っていうか何で3なの!?いったい誰をカウントした!?」
謎の3股疑惑に反論すると、山下はやれやれと手を振る。うぜぇ。
「…毎日部室で二人きりで過ごして手を繋いで帰る湊との関係を女友達って言う気?」
「すみませんでした」
うん。客観的に考えたらぜんっぜん友人関係には見えませんね。
どうせソースは紫暮なんだろ。軽音部室からわざわざ覗きに来てるのかよ。
「あれ?じゃあ俺とお前の関係友人じゃないの?」
「だいたいお友達」
「残りは?」
「男の部屋で愛を囁いたり女の部屋で寄り添ったりしたじゃないか」
「すみませんでした」
愛を囁くって何だよ。クリスマス前の告白疑惑ってコイツの中では結局告白相当になってるのかよ。
「だが全部友達以上恋人未満なのでセーフ!俺は3股かけるクズじゃない!」
「じゃあ…誰が」
思考が止まる。
「…ううん、やっぱいい」
その先を聞かれていたら、俺はどう答えただろう。
芽衣とは時間と距離がある。
湊を救う義務がある。その距離を縮めるための手段に、それを用いているという面もある。
じゃあ一番正常なのは。
「さすがに無粋だね」
慣れていないくせに妙にカッコいい山下だった。
「いいよ。髪に関しては湊と被るのヤダからこのままで。悠希君が変えろって言うならいいけど」
「そうですか」
ふっと息をついて、山下は甘いコーヒーに口をつける。
どっと疲れた。何で湊も山下も詮索大好きなんだよ。寝たい。
「もう一つの相談だけどさ」
あぁもう一つあったのね。もう疲れたんだけど。
口にしたらコーヒーぶっかけられそうだから言わないけど。
「悠希くんは甘いもの好き?」
「好き。甘いの大好き。チョコを買うときはホワイトチョコ。ケーキはモンブラン。
コーヒー牛乳にさらに牛乳加えちゃうレベル。あと人生も甘いといいです。」
「そ、そう。でも人生は甘くないよ」
「お前のツッコミと追求も甘くなかったな」
「しつこい」
甘く無さ過ぎてお前今日からキムチって呼んでやろうかと思った。
「で、それが?」
「最近お菓子作りをやっててさ。甘いものが好きじゃなかったら甘さ控え目なチーズケーキとかにしとこうかなと」
「おいおいマジかよお菓子まで作れんのかよ一人暮らしハイスペックすぎるだろ」
嫁に欲しくなった。(結婚しよ)とか言いそうになった。俺的にポイント高いぞ山下。
「まぁ適当に作ったら呼ぶよ。お望みならあ~んで食べさせてあげるよ」
「お前いろいろと恥ずかしがらないのな…楽しみだけど」
「あ~んが?」
「お菓子が。」
陽が落ちてきたので、この日は寒くなる前に帰路に着いた。
山下の好意と胸の高鳴りに溺れそうになりながら、ペダルを漕いでいた。
-
「君は、優しくて正しいね」
長い夢を見た。
「だからそれ以上は望めない。なのに、君は欲張りだ」
何かを思い出すような、懐かしさ。
胸がぎゅっと締め付けられるような息苦しさ。
「聖人と悪人。どちらが尊い、どちらが正しい。そういう問題じゃない。
人は憧れはしても、手にしてはいけないんだ。
聖人という、正義という理想を現実にしてはいけない。」
鳥の羽を蝋で固めて、彼は翼を手に入れた。
蝋の翼は、理想によって溶かされた。
「だってそれは幻想なのだから。現実でないなら理想を演じているに過ぎない。
人は人、自分は自分でしかない。他の誰かに取って代わることは出来ない。」
彼は落ちる。
「人は変われない。変われたというのは、自分を騙しているだけだ。それはいつか破綻する」
遠ざかっていく太陽を目にしても、彼は右手を伸ばしていた。
「君が願うのは…」
『Not a Real World』
最終話
#20 そうして少年は、剣を落とす。
2月11日、放課後。恐ろしい寒さだった。
俺が馬鹿だった。どうせどこでもあいつに会えるなら暖房設備など無い部室にわざわざ向かうべきじゃなかった。
冗談抜きで寒い。暖かい飲み物ぐらい用意すべきだった。
あまりにも寒いから毛布被ったまま寝ていた。冬眠が永眠になりかけた。
首が痛い。かじかんで手を動かすのも辛い。
「おはよう、悠希君」
「なんでお前寒そうじゃないの馬鹿なの北方民族かなんかなの」
「あはは、歯がガチガチ言ってるよ。」
「寒いんだよ」
「私はそこまでじゃないけど…あ、今筋肉とか脂肪とか余計なこと考えたでしょ」
「はいすいませんでした」
「はいはい。ミルクティーですよ」
「助かる」
持参したらしい水筒から温かいミルクティーが紙コップに注がれる。
広がる香りと湯気が冷たい部室の空気を暖めてくれる。
「美味い」
「良かった」
温かい。甘い、美味い。身体が内側から温まる。
自販機で買うやつより美味く感じる。なに、喫茶部とか作るか。
湊はまだ、この部屋にいてくれた。
「悠希くん、今度この本貸すよ」
「どう見てもラノベなんだが」
「これの最初の5巻貸してきたの悠希君でしょうが」
「最近買ってなかったからな…それ7巻か」
「6巻も貸すから読んで」
「読むけど面倒だから感想を述べろ、読むモチベ上げるから」
ぶっきらぼうにそう返すと、湊の言葉は予想外に頭に響いた。
「正しいか正しくないか、みたいな二元論じゃいつか破綻しちゃう」
ぼやけていた夢の誰かが輪郭を帯びて思い起こされる。
「ので」
その先の答えは。
「答えは君の目で確かめろ!というわけではい6巻」
ものすごくウザくネタバレを防がれた。あと攻略本でそれやるのやめろ。何のための攻略本だよ。
湊は再び本に目を落とす。気の抜けた様子で言葉を紡ぐ。
「悠希くん、そういうところあるよね」
「どういう?」
「二元論に陥って考え過ぎちゃうところ」
その原因お前だったりすることもあるんですがそれは、というのは言わないでおこう。
「真面目すぎるっていうかプライド高いっていうか理想高いっていうか?」
「自覚はある」
「隠し事したり素直じゃなかったり」
「お前結構ずかずか言うようになったよな…」
「ダメ?」
「いや。…嬉しい、のかもな。よく分からんけど」
「良かった!」
その笑顔には、まだ目が慣れないくらいの眩しさがあった。
いつからだろう。湊が作り笑顔をしなくなったのは。
ホントにあっさり、自然すぎるくらいに、湊は美しく可愛らしく、誰にでも笑えるようになっていた。
何が彼女を苦しめていたのかすら、俺は分かってやれていないのに。なのに彼女は笑う。
悔しいのか、俺は。まだ、そんな正義のヒーローにでも憧れているのだろうか。
「自意識過剰な台詞だけどさ。私のことも、いろいろ悩んでくれたんでしょ」
「!?」
「いやさすがに分かるって…悠希くん結構考えてること顔に出るからね?」
「マジかよ…」
「でも分からないこともあったりしてさ」
「え?」
湊は、俺に聞こえるように呟いた。
不意に本を畳んで、姿勢を正して、俺を真正面から見据える。
「あのさ、悠希くん。今のうちに言っておくね」
俺たち二人の楽園は、唐突に終わりを告げる。
禁断の果実に手を出したのは、彼女だった。
「君といる時間は楽しかったよ」
「君といる時間が好きだったよ」
「君は私を救ってくれたよ」
「だからそれを壊す私を、どうか許さないで。」
彼女の笑顔を壊したのは、俺だった。
「な、何言ってんだお前、いきなりなんか終わりみてぇなこと言いやがって」
「終わりなんだよ。もう時間が無いの。」
「意味が分からん!」
「聞いて!」
湊は立ち上がった俺を逃がさないように肩を押さえつける。
壁を背にした俺は否が応でも聞かざるを得ない。
その力強く意志のこもった瞳から、目を背けることは許されない。
「明日と明後日。必ずここに来て。来なかったら…はいいや。君は来てくれるから」
その湊は、俺の知ってるどの湊とも違っていた。
「……………」
「信じてるよ」
何も言葉を返せない。
湊はそれだけ言って、部室を出て行った。
-
翌日の放課後。
ハルに捕まっていたら、教室を出ていく湊を見逃してしまった。
「…湊?」
部室の扉を引くが、中に彼女はいなかった。
「何だよ、呼んだのお前のくせに…」
電気をつけると、ちゃぶ台の上には小さな白い封筒が置かれていた。
「…手紙か」
今日は自販機で買ったミルクティーを片手に、封を開ける。
白い便箋に綺麗な文字で書かれた文章に、唾を呑みこんでから目を走らせる。
それは俺の未来を大きく揺るがすには充分すぎるものだった。
悠希君へ。ちゃんと来てくれてありがとう。
情けないことですが、面と向かってちゃんとお話しできる自信が無いので、こんな形で伝えることにしました。
私たちの関係は、不自然です。
いつまでも続くものではありません。
だからちゃんと伝えます。
私は中学で、バレーボール部に所属していました。
部活に打ち込み、結果も出して、これでも結構注目される選手だったんだ。
以前、「好きだから勝ちたい」と「価値があるから勝ちたい」というお話をしたね。
あのときは失礼なことを言ってごめん。
私は周りに合わせるのが下手だった。
競技が好きな気持ちより、負ける悔しさが上回るようになった。
私は競技に熱中しすぎて皆をちゃんと見れてなかった。
部長にも選ばれたけど、厳しく言い過ぎて皆は離れていった。辞める人も多かった。
競技に本気になるのが正しいと思ってた。だからそれしかできなかった。
でも、好きなだけじゃダメだったんだね。
あそこには、普通の人しかいなかった。
真正面からぶつかり合える、一つの正しさだけで向き合える人はいなかった。
私だけ、お子様だったんだ。
私は諦めた。
最後の大会に人数が足りなくなる前に、春、私は部活を辞めた。
戻ってきた人たちで大会を勝ち上がっていったのを、私は見ることさえしなかった。
そのあとも私はダメだった。一人ぼっちで勉強して、一人ぼっちで遠くのこの高校に入った。
今度は周りに合わせようと、慣れないキャラ作りとかしてさ。
そんなの、皆には見抜かれてたのにね。
皆に出会えて良かった。
あの球技大会は、本当に楽しかったよ。
楽しいバレーが出来て、本当に嬉しかった。
私を誘ってくれて、ありがとう。
私の手を取ってくれて、ありがとう。
私の馬鹿馬鹿しいお話にも真面目に付き合ってくれて、ありがとう。
素敵な居場所を作ってくれて、ありがとう。
こうやって一方的に思いをぶつけるだけじゃ、きっと上手くいかないんだろうね。
明日、あなたのことを教えてください。
明日、本当に伝えたい言葉を伝えます。
きっとあなたにはそれが分かってるだろうけど。
きっとそれは私たちの関係を壊してしまうだろうけど。
それでも、私はあなたに伝えます。
湊 彩羽
「あれ?悠希くん!どうしたの?帰るの早くない?今日は湊さんは?」
「…元気そうだな紫暮」
「そういう悠希くんは顔赤いね。寒さかな?」
「あー…そういえば乾燥肌とか診断されてたし、寒いとそう見えっかもな…」
「それは大変だね。ウチ来るかい?」
「山下、流れを軽々と無視して自宅に誘うのやめてくんない?あとお前んち微妙に遠いからな?」
「帰宅部の悠希くんの活動範囲が狭いだけじゃ?」
「ごもっともです」
「トォーゥワァー!ファイオッファイオー!」
「ハル、一人のランニングに掛け声いらなくね?つか変質者かよ、つか周回コースどうなってんだよ」
「よお悠希、俺は新人だがあまりの実力に練習ではだいぶ自由にさせてもらってるんだよ!!」
「いやよくねーよ何だその部活は…」
「冗談はさておき今日監督いねーしまぁ周回コース変える程度ならな…遠くからお前らの顔見えたもんで」
「どこからどこまで冗談か分かんねーよ…」
「何、いきなりあの部室を出て行ったことを気にかけてはいるからな。様子が気になったといえばそうだ」
「なんだ、脳まで筋肉になってるかと思ったらそうでもないんだな」
「僕は脳筋説に一票」
「あたしも」
「おい」
ああ。
一人ぼっちの高校生活が。ずいぶん賑やかに、なったもんだ。
「…悠希?どうしたんだニヤニヤして」
「いやなんでも。さみーからとっとと帰るわ、じゃあな」
「おう」
「ばいばーい」
「また明日ねー」
「おーぅ、ありがとなー」
冬の空に、一人の少女のことを思い出していた。
自転車に乗って人気のない道へ。静かな公園で、ミルクティーの残りを傾けながら電話を掛ける。
「はいはい、クリスマス以来だね、悠希くん」
「よう、元気してっか、芽衣」
こんなときに電話していいのか、しないほうがいいのかはよく分からなかった。
「何、ようやく私に頼る気になった?」
「あー、相談っつーかなんつーか、単に後押ししてもらいたいことが出来た」
「ほほぅ?何?」
「お前さ。俺に告白されたときどう思ったよ」
「!?!?!?!?!?!?!?」
「おい、芽衣?」
「…いきなり何聞いてんの!?デリカシーとは何だったのか!あの甘酸っぱい別れはなんだったのか!」
「それはそれ、これはこれ。で、どうなん」
「そりゃ…嬉しかったと同時に、進学の事情があったからお別れだと思って悲しくて悔しかったよ」
『でも、好きなだけじゃダメだったんだね。』
「そっか。好きなだけじゃダメだったんだな」
「だ、ダメじゃない!あれは私が悪かったの!」
運が無かったと言えばそうなんだろう。
けれど芽衣との出来事は俺に考える時間をくれた。
「あー、大丈夫大丈夫。聞きたいことは聞けたから」
「なっ…なんか今日の悠希くん変じゃない?」
「変だろうな。次会うときはもっと変になってると思うわ」
「…どうしたの?今すっごい心配で会いたくなってきたんだけど」
「…ダメだよ。もうお前相手に、不器用な真似したくない。」
「??不器用って、告白のこと?」
「そうだ。俺はお前が大切なんだよアホ」
「何故アホつけたし…いやすっごい嬉しいけどさ」
「ならいい。んじゃまたな」
聞きたいことは聞けた。頭が熱い。しっかり抑えつけないと、不器用な自分が暴れてしまう。
「あ!待って待って」
「なんだ」
「バレンタインチョコ!渡そうと思ったんだけど郵送の仕方が分かんないからごめん!」
「…お、おう、気ニスンナヨ」
「あ、あれ?また変になった」
「んじゃな!」
「ちょ」
考えなくちゃいけない。芽衣との通話を強引に切った。
「時間が無いってそういうことかよ畜生…」
現実に引き戻されて、考える余裕が出来て。馬鹿みてぇな寒さを思い出して体が震える。
湊は手紙を残していった。明日、彼女と話をする。
彼女は時間が無いと言った。これで終わりだとも言った。
「バッカじゃねぇの」
明後日、バレンタインが来る。それが彼女の言う「終わり」だ。
思い当たる馬鹿馬鹿しい想像はある。
「信じてないのはお前じゃねーか」
あぁそうだよ、行動から意志なんて分かりっこねー。
俺みたいな捻くれ者の馬鹿が理解されようって方が無理な話だ。
『…分かりっこなくていいから。それでも俺はお前と分かり合いたい』
でも分かり合いたいって言ったのは俺じゃねーか。じゃあ向き合うしか無いじゃねぇか。
それで俺たちの平穏は『終わる』。そんなぶつけ合いをしたら無事でいられるはずがない。
だから湊は選んだ。彼女にとってより良い終わり方を選んだ。それは勇気だ。
それでも終わる。
あの部屋から出るときが来た。
俺たちは凡人に堕ちる。
考えることが多すぎて、ぐちゃぐちゃの思考に酷く混乱した。
「はい尾行成功。何死にそうな顔してんだよバーカ」
「…何尾行してんだよバカ、練習しろハゲ」
こんなときに、衛藤陽斗はやってくる。
狙っているのか何なのか。全てを見透かしているとでもいうのか。
こっちの事情なんてさっぱり知らんだろうに。
「ハル、何の用事だ」
-
俺が、皆と出会えたのは。
腐った自分を救ってくれたのは。
全てを始めてくれたのは、ハルだった。
「なに、ちょっと長ったらしく人生の説教でもしようかと思ってな」
中学の頃、ハルは愚かだった。
力があれば全てを守れると、そう考えていた。
でも力だけじゃ、紫暮を救えなかった。
ハルも俺も同じだった。挫けて、何が正しいのか必死に考えて、前に進む挑戦者だった。
「と思ってたんだけどな。所詮そういうの、俺はまだまだ素人だからやめておくよって伝えに来た」
「そうかい」
腐った俺を、ハルは救いたかった。
俺たちの始まりは正体すら本当はよく分かってない。
それは人によっては偽善と呼ぶのかもしれない。
「だからこの一年一緒に過ごしてきた親友として、飾らない言葉を贈るよ」
「…気障なヤツ」
でも始まりは何だっていいと思うのだ。
同情でも、憐みでも、偽善でも親切でも。何であれ人が踏み出した証拠だ。
それがどんな終わりを選んでも、穢されるべきものではない。
「頑張れ、悠希」
「おう」
冬の寒空の下、彼の拳は熱かった。
俺は、何者なのだろう。
優しくて正しい、それが立派だと信じてそうありたいと願った。
それがたまたま失敗した。運が悪かったと言えるのかもしれない。
でもその理想は、本当に正しいのだろうか。
子供みたく夢を追いかけるのか。大人のように夢を諦めるのか。
そうやって凡人に堕ちるのを、普通の高校生と呼ぶんだろう。
凡人にすら堕ちれなかった俺は、未来をも諦めた。
堕落した高校生活は、複雑な過去を抱えた彼らによって救われた。
理想と現実の二元論じゃ、人は生き抜くことが出来ない。
だから理想を抱えて現実を生きよう。そのどちらもかけがえないのないものだから。
偽って、諦めて、それでも生きる。人はそれを大人になると、その生き方を凡人と呼ぶ。
ああ、だから。俺が成すべきことはこれだ。
こうして俺は、凡人に堕ちる。それがこの、現実じゃない物語の終わり。
翌日の放課後。俺は部室で湊彩羽に会った。ちゃぶ台を挟んで、座って彼女と向き合う。
湊が口を開く前に、俺は彼女に全てを話した。
山下たち3人の過去以外に、彼女に隠してきたこと。
芽衣と会ったこと、山下が俺を頼ってくれること。
俺がどんなことを考えてここに来たか、湊との出来事をどう解釈しているか。
ありのままに伝えた。我ながら、残酷な男だと思う。
湊がこれから話そうとしていることなんて、きっと俺が一番理解してるというのに。
湊の顔がどんどん暗くなっていっても、俺は話すことをやめなかった。
「…じゃあ、最後に。お前が訊いたことについて、どれが真実なのか結論づけてみた。」
「…はい?」
「無責任な右手が何だったのか。その解答だ」
俺とお前が他人じゃなくなったのは、この部屋で彼女の手を取ってしまってからだ。
彼女があの夜泣いたのは、その正体が見えなかったからだ。
「俺はもともと、誰かを嫌いになんてなれないぐらい、バカみてーに優しいんだと思う。
人の言う事簡単に信じるし、嘘とかあんまつけないし、誰にでも優しくあろうとする。
それが“いい人ぶってる”のか親切心なのか、同情なのか憐みなのか偽善なのかは知らん。
けどな」
「……ぁ」
そこにある彼女の右手を、もう一度掴む。
「俺はただ、お前を助けたいと思っただけだ。お前に泣いてほしくないと思っただけだ。」
その根底にあったもの。それは今はここにある。
「それがどうしてだったのかは最近分かった。言う予定なんて無かったけどお前がバカな真似しやがるから言いに来た。」
「え、ちょ、あの」
俺たちは傷ついていた。俺たちは同じ立場だった。
お互いに傷つけあいながら励まし合ってた。なら辿り着く答えも同じだ。
「俺は」
「ストォォォォップ!!待て!待ちなさいっての!」
湊は顔を真っ赤にして、俺の口を塞ぐ。
「…ちょっと!何!?何なの!?今日話しに来たの私なんだけど!?
つかそれ言われたら一昨日の私の台詞はいったい何だったのか!ただの痛い子じゃん!」
「自覚あるならマシだ。だから終わりじゃないっつったろ」
「うるさぁい!じゃあ何、私のバッカバカしい想像も見抜かれてたってわけ!?」
「そりゃもう。自意識過剰すぎて俺から言う気にはならんけどな。
ここまで俺が喋ったんだからせっかくだから言ってくれよ」
…我ながら。今ものすごくニヤニヤとウザい表情をしてると思う。
今写真とか撮られたら櫻井じゃなくてゲス井とか呼ばれると思う。
「くっ…香苗ちゃんが…バレンタイン向けてお菓子作ってたから…」
「から?」
「明日悠希くんに告白でもするんじゃないかと思って…それで…」
「それで?」
「うぅ…悠希くんと香苗ちゃんがくっついてこの部屋で一人ぼっちになる前に…」
「おう」
「玉砕!しにきたの!だから嫌われると思って隠してたことも全部手紙書いたの!」
「ああ。それで『終わり』で、『時間が無い』って言ったわけだな」
「解説すんなし!」
嫌うわけがない。彼女と俺は、同じだった。そして同じ決意を持って、今日ここに来た。
だから俺たちは今日、この部屋を出ていく。二枚の入部届けを持って、もう使わない鍵を捨てる。
「だから…玉砕、するね…」
「あいよ」
外の世界でも、俺たちは肩を並べて。今度はハルも紫暮も山下も一緒に、挑戦者として。
普通に、幸せに、歩いていける。
「あなたのことが好きです」
「好きです。これからも一緒に、歩いて行こう」
「…はい」
腐った俺の高校生活は、ただの青春劇に堕ちた。
雪が静かに降っていた。
-
2月14日。
「はい悠希君。ご要望通りのホワイトチョコだ」
「お、おう、ありがとう」
「お返しは期待してるからな?」
「慣れてないが…頑張るよ」
山下香苗からチョコを頂いた。
彼女が去ると、隠れていた栗毛が顔を出す。
「………どうした湊、せっかくのバレンタインにどんよりした顔して」
「…なんで香苗ちゃん告白しないの…私の危惧は何だったの…」
「別にいいんじゃないの。俺たちのことは気付いてないみたいだからお前に気を遣ったわけじゃなさそうだし。
あーあとアイツも芽衣のこと知ってるから、そっち気にしたのかもしれんし。そもそもその気が無い可能性だって充分にありうる」
「そうだ、芽衣さんのことはどうするの?」
「アイツは遠くに行った時点で、内心見切りつけてると思うよ。」
だからクリスマスのとき、彼女は何も言えなかった。だからあの帰り道も、何も言えなかった。
「ま、いいんだよ。恋人じゃなくても、俺と芽衣は良い関係でいられてるんだから」
「…浮気はダメだよ」
「それは彼女の台詞なんだが」
「………世の中のリア充って何でそんな簡単に彼氏彼女の関係になれるのかな」
「自分に自信があるからじゃねーの」
「羨ましい」
「なら現実にしようか」
「じゃあ今度は私から言わせてよ」
湊は、髪型を変えた。
肩まであった髪を結んで、ポニーテールにするようになった。
芽衣と同じしっぽ髪が、鞄を探る動きに合わせて可愛らしく揺れている。
白い包装の小さな箱を差し出して、微妙に目を背けながら彼女は口を開く。
「ハッピーバレンタイン。あと、付き合ってください。」
「喜んで。」
「浮気はダメだよ」
「もちろん」
そうして彼女は、偽らない笑顔を向けてくれる。
俺も彼女に、精一杯の笑顔を向ける。
湊は体育館へ、俺はテニスコートへ。
俺たちの新しい生活が、今始まる。
ようやく、ここに戻ってこれた。
たくさんの人に支えられて、また選手としてコートに立てることを、俺は嬉しく思う。
この幸せがどうか、ずっと続いていきますように。
-
「…そういえばお前も文系だっけ」
「あんな面倒臭いこと考えるヤツが理系なわけないでしょ」
「はは、それもそーだ」
「よう、残念だったな」
「…4打数3安打、3打点1ホーマー。ベスト8。まだまだチーム作りが甘いな」
「来年はお前がキャプテンだろ」
「へっ…ただの高校球児で終われっかよ。ぜってー甲子園の土ぐらいは踏んでやる」
「…山下、何泣いてるんだよ」
「だって…紫暮もルチアも一緒に演奏できるなんて、夢みたいで」
「…あぁ、本当、良かったな」
「…うん…!」
「お前も有名人になったもんだな」
「まだまだこれからだよ」
「お前らしいよ、芽衣」
「…なぁ、もう泣くなよ」
「だって…っていうか悠希くんが泣いてよ…」
「いいんだよ、一年サボってた奴がこんなところで報われたらダメだろ。」
「そんなことない!悠希くん頑張ってたもん!」
「…もともとの動機だって不純だった。芽衣がいなけりゃ好きだったことにも気付けなかった。
ここまでやれただけで満足だよ。怪我治ったらまたやるさ」
「………」
「なら、お前は頑張れよ、湊。応援してるからな。怪我なんてすんじゃねーぞ」
「!…うんっ!」
「…なぁ、もう何年だっけな」
「ん?うーん…10年?」
「そっかー…はは、懐かしいな」
「懐かしいねぇ」
「ほんと…奇跡みたいな日々だった」
「うん」
「今日何の話しに来たか、どうせお前は分かるんだろ?」
「10年一緒にいたら、そりゃバレバレだよ」
「彩羽」
「悠希くん」
「次の10年も、その先も。一緒にいようか。」
「…はい。…今度は悠希くんから言ってくれるの、待ってたよ。 」
-fin-
くぅ疲
ただの屑高校生ライフを書こうとしたら湊とかいうキャラが颯爽と青春ラブコメに変えていったでござる
開始から約一年、投稿数100、20話という露骨な調整
またつまらぬものを書き上げてしまった、反芻はしている
俺たちの戦いはこれからだをダイジェストでお送りしました、雪ノ下先生の次回作にご期待しないでね!