ワザップ!フォーラム
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「〜〜〜〜♪」
鼻歌。
浮かんでは消え、また浮かんでは消えてゆく。
泡沫のようなそれは、次々と東京の喧騒に呑まれていく。
それでも、たしかにそこにあるメロディ。
『「「こんなにも汚れて醜い世界に——……ありがとう…」」』
ふいに口ずさんだそのメロディに、重なる二つのコーラス。
驚いて、寒川は辺りを見る。
人、人、人、彼女には何の関わりもない他人。
どこを見たって彼女と同じ人なんていない。
彼女と同じ歌詞を口ずさむ人なんていないのに、聞こえた奇妙なコーラス。
僅かの逡巡の後、それが脳内で再生された声だと気がついた。
一つは“彼女”の声。寒川が憧れた“彼女”の声。
もう一つは、やさしいやさしい男の声だった。
その男の名前をあたしは知っている。
羽生巡だ。
彼はあたしの——。
「———————何だっけ?」
寒川の思考が鈍る。
刺すような痛みが頭に奔る。
クラスメイトだった。
友達だった。
あのバンドを教えてくれた。
カラオケにも一緒に行った。
一緒の高校に行こうって、耳まで真っ赤に染めて言ってくれた。
約束を—————痛い。
痛い痛い痛い痛い。嫌だ、やめて、どうして、痛い。
そこからの記憶にノイズがまじるのだ。
何かを思い出させるような、それを拒むような、気味の悪い頭痛が。
…あたしは幸せだよね?
第一志望の高校で、勉強はそこそこに、友達もできて、ギターに夢中で。幸せじゃないか。
…あれ?なにか欠けてない?
なんであたし、この学校に軽音部があるのに入らないんだ?
あたしはずっと、バンドが組みたくて、軽音部があるこの学校に——痛い。
一緒に、バンド、約束、あぁ、痛い。
なんでさ。なんで好きなことのはずなのに——頭が痛いんだ。
なんでさ。欲しいものは手に入ったはずなのに、ギターが弾けるようになったのに。
なんでさ。いまのあたしには、この世界が嘘っぱちに見えるんだ。
なんでこの寒川雪名は、ニセモノに思えるんだ。
「——助けて………痛…い…」
助けてよ—————こんなときに助けてくれる人の名前は——ああ、痛い。
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「そうだ、アンタの名前を教えてくれよ。」
「…え?名前?」
「何そんな驚いたカオしてんだよ。それほど素っ頓狂な質問でも無いだろ?」
「あ、あぁ、いや、そうじゃなくてさ…」
何故かそこで彼女は言いよどんだ。
「先に名乗れってことか?私は篠原結衣だ。いい名前だろ?」
「自分で言っちゃってるよ…」
「それで、アンタの名前は?」
「……うーーーんとねぇ…」
なんだろう。私が珍しく調子に乗った話し方をしたせいで彼女が尻込みしちゃってるのか。
彼女は薄く頬を染めながら、恥ずかしそうに小さく言う。
「そのさ………名前を忘れてしまったのさ。自分の」
「はぁん?」
「何そのリアクション…とにかくっ!アタシはたくさんの自分を抱え過ぎて、名前すらも忘れちまったのさ。だから名前を…どうしよ?」
何かアレだった。羽生だったらチョップかましてる。
——名前を忘れる?この子が?
あんなにたくさんの曲を出して、あんなにライブやってるバンドの中心人物が今この場で名前を忘れるはずが——いや。
心当たりならあるじゃないか。私の身近に、そんな怪異を経験した二人がいるじゃないか。
なら、この子は怪異に呑まれた人間——。
なら、私は私を演じさせてもらおう。
「可愛いなぁコイツぅぅぅっ!よぉしっ私が考えてやろうっ!えっと私がユイだから、あず——」
「ツッコみどころがありすぎだろ!?まずキャラ壊し過ぎだ!次に私の意見を取り入れる気は無いのか!そしてその名前はパクりだろ!!」
「なら私がユイだからヒナタでどうだ!」
「アタシのツッコミ全部無視したよな今!?そしてそれもパクリだろというかアタシは女だ!」
「なら星砂と書いてスターシャと読ませる!」
「漢字カッコいいけど読みだけ見たらすごいDQNだな!?」
「姫に茶で姫茶でどうだ」
「なんて読むんだそれは?ひめちゃ?」
「キティ」
「サンリオとアタシに謝れ!」
そんなこんなで彼女の名前を二人で…いや、ほぼ私が案を出して彼女が却下した。
キティ以降まともな名前も出していったのだが、彼女のお気に召すものはなく…。
ネタが尽きそうになったころ、とある名前に彼女が興味を示した。
「ルチアってどうだ?」
「可愛いなっ!」
「えっ」
「あっ」
…正直、理由は分からないが、“ルチア”という名前に彼女は異常な反応を示した。
こうなったらもう決まりだろう、うん。つかもうめんどくさい。
「というわけでっ!アンタの名前はルチアに決定だ!」
「えええぇえぇ、あの、ちょっ、待って、あ」
「何だ、可愛いと言ったろ?」
「いや、可愛すぎて、アタシには似合わないんじゃないかって…」
ずきゅん。
心を射抜かれる音がした。
「はぁぁぁ可愛すぎるのはルチアだよもうっ!」
「わっ、おいバカやめろスカートをめくるなスカートを!」
「はぁはぁ…お嬢ちゃん今日何色のパンツ穿いてるの〜?」
「アンタはどこまでキャラ崩壊すれば気が済む!?」
「おいおい……そこはさ、結衣って呼んでくれよ?」
「自重しろ、結衣」
「大好きだ、ルチア」
「いま自重しろって言ったよな!?」
「みゅふっ」
「みゅふってなんだ!?」
それが篠原結衣とルチアの出逢った日の顛末だった。
それがここで終わってくれていれば、それでも良かったのだけれど。
私達人間ってのはときどき無責任なのだ。
自分のほうから祈っておいて、その祈りにすら責任が持てないこともある。
私とルチアがずっと騒いでいた賽彩神社というところが、今回の事件に大きくかかわっていることを、私はその日知ることになる。
それは運命か?そう思うぐらい奇妙なめぐり合わせだ。
でも、言ったろ。私は、そんなもの信じないってね。
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ルチアと携帯の番号とアドレスを交換し合い、私達は日が暮れてくるまでお喋りをした。
「そろそろ帰ろうか。私はこの近くに住んでるんだが、ルチア…さんは?」
「アタシも近くだよ。それとその呼び方はものすっごい今更な『さん付け』だね!」
「いやぁ、よく考えたらこの人私より3つ上の大学生だったもんな。…でしたものね。」
「ユイが敬語が苦手なのはよくわかった。でもユイはいい子だからね、今まで通り呼び捨てでいいよ。…名づけ親だし」
「わかったよルチア。ルチア。ルチア…ぷくっ!」
「わ、笑うなアホぉ!」
ルチア…かぁ。
なんだかこの人のイメージが二転三転しすぎてもう何だかわからなくなってくる。
でも、それが彼女の悩みで、でも、それらすべてがルチアで。
私がそれを指摘してからは笑顔が増えたって気づいたけど、…力になれたんだろうか。
そんなことを考えていると、大きな瞳でルチアがこちらを覗き込んでいる。
…帰ろうって言ったのにまだ境内に座りっぱなしだった。彼女は前かがみになってこちらを見つめていて——って近い近い近い!ドキドキするだろ!
「…ねぇ、アタシらのバンド『GDM』って言うんだけどさ。今度駅前のライブハウスでライブやるんだけど見に来ない?」
「え」
ルチアの熱い吐息を感じる。え、何これ。マリア様が見てるの?
「今度って言っても、五日後の日曜日だから、予定があるなら、別にイイんだけど…」
ちょっとごにょごにょとなりつつも、ルチアの顔はまだ目の前にある。
…私が男だったらもうヤバかったな。チューしてる勢い。
誘惑(?)を断ち切りつつ、私は言う。未来への布石を。
「チケット、三枚だ。大ファンを二人、連れてくるよ」
私はニカッと笑ってやった。
羽生から伝え聞いたことだが、羽生と寒川の好きなGDMのギターボーカル——即ちルチアは、不幸な家庭に生まれたらしいのだ。
両親の喧嘩が絶えず、それは時折彼女に飛び火し、その子は暗い子に育っていた。
そんなある日、とあるバンドに出会い、ギターを始め、歌い始め、笑い始めた。
そして今のルチアに至る…という認識だったが、どうも少し違うらしい。
そこで彼女は『何か』を越えたらしいのだ。
ルチアいわく『夢のような記憶。生と死のイメージを鮮烈な経験』。
あやふやなものではなく、それは確実にルチアの人生を激変させた。
それが何かは、私には解らなかった。ただ、ニオイはする。
羽生と寒川に起きた“リンク”のような、“怪異”のニオイだ。
ふざっけんな。私たちは人生を一生懸命生きてんだ。
その輝きの一つを穢そうだなんて——
賽彩神社を振り返る。そこに神がいるってんなら出てきやがれ。
神様なんてのはいつだって、寂しがり屋なんだろうから。
そして————
「へぇ………面白い子がいたもんだ。」
————賽は投げられる。
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「まったく、その女はただの幻想だったのにさ…
固有名付加、存在確立。こちら側に<結>び付けるとは、実に面白い子だ。篠原結衣」
「誰——…………え、」
「僕が誰って? ひどいなぁ、もう聞き慣れた声のはずじゃないか、“ユイさん”」
「嘘…だろ…?」
「————羽生巡。盲目的な恋情で、その恋を壊した、欠陥者さ」
それはもう、何の狂いも無く、間違いもなく、間違いようもなく。
どうしようもないくらい完璧に、その発声器官は“羽生巡”だった。
子供っぽさの残る顔。細く、軽い身体。傷つけた左足。
声も表情も、すべて羽生巡のものである。
左腕に松葉杖を持って、私達の前に彼は立っていた。
その口角は嗜虐的に歪む。目を線にして、頬を緩ませ、彼は笑った。
こんなにも見たくない笑顔を、私はほかに見たことがなかった。
「ルチアだっけ?いい名前だ。しょうがないから君はこの世界で生きるといい。友達もできたことだしね」
「…………………。」
ルチアは固まっていた。口を開けて、目を見開いたまま。
その驚きようは、何か異質だった。彼女にしか分からない驚くべき何かが、二人の間にはあったのだ。
「さて、何か質問でもあるかな“ユイさん”?」
「おい……羽生?こいつ、あのバンドのボーカルさんだぜ?驚けよ…驚いて、くれよ…」
そいつは嗜虐的に笑う。
乾いた声で、篠原結衣が口にする。
私の精神は身体を離れて、他人事のように私を見ている。
現実を受け入れられない篠原結衣は、運命とかいうものを知っているつもりで、本当の意味で受け容れてられていなかった。
どうして。やっぱり。また、なのか。
また私は、運命なんてものに引きずり込まれるのか。
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「だから言ったろう?その女は幻想さ。<僕>と<世界>で生み出した幻想だ。
それは決して存在はしない、だから簡単に消えてしまう——こんな風に」
そう言って<羽生>がルチアを見定めると、——ルチアの身体が消失しはじめた。
「え!?」
「!?」
突然の消失、欠損。ルチアの足元から、ルチアの身体が、存在が喪われていく。
彼女の手が私に伸ばされ、私に掴まれる前に消えていく。
その顔面は蒼白で、もう一方の手で胸を押さえている。
もがくように、苦しむルチア。その表情は見たくなんてなかったルチアの苦しむ顔。
全身から薄ら輝きを放ち、光の粒子となって暗い辺りを照らしていた。
私とルチアにどうこうする術は無く、無力な私は手を伸ばすことしかできない。
また、またしても。私は世界の前に、運命の前に無力で。また運命に跪いている。
救いはないのか、そのとき——何かが視えた。
「!?」
小さな部屋、割れる、乱れる、壊れる音。
言い争う声、雨、バンド、ギター、歌、好き、プロ、病室、痛い、好き、スキ。
『アタシは………まだ………』
何も成し遂げてない。
こんなのが運命だったというなら、アタシはそんなの信じない。
アタシはこの夢を信じる。この夢しか信じない。
そんな死なんて幻想に変えてみせる、この夢を現実に変えてみせる。
この世界に神なんてのがいるんなら、せめて最後の願いの一つぐらい叶えてみせろ。
——その願い、確かに聞き入れた——神たる僕が叶えて進ぜよう。
その光景はいったいなんだったのか。
頭で考えるよりも先に、言いようのない不安が私の身体を突き動かした。
「——ルチアッッ!!!!」
——その少女は、不幸な家庭に生まれた。
両親の喧嘩が絶えなかった。少女は時折、そのとばっちりを受けて怪我をした。
少女は幼い子の持つわがままを封じ込め、ひたすらその痛みに耐え、真面目な一人の学生として生きた。
これが自分の人生で、これが自分の運命なんだ。そう言い聞かせた。
でも、そんなある雨の日、ゴミ捨て場で雨に濡れていた一本のギターを見つけた。
少女は言いようのない光をそれに見た気がした。
それはきっと運命だった。ギターと歌に完全にのめりこんだ少女は、進学をやめる。
アルバイトで生計を立て、ストリートライブをし、プロを目指してオーディションを受ける。
そんな毎日が、苦しくて、辛くて、それでもどうしようのないくらいに…幸せだった。
そうだ、アタシは夢しか信じない。運命なんてぶっ壊せ。少女は間違いなく“生きていた”。
だが、運命は少女を殺した。
両親の喧嘩の仲裁に入ろうとして、少女はとばっちりを受ける。
固いビール瓶で頭を殴られたのだった。
その怪我が原因で、少女はもう動けなくなってしまった。
病室で一人、何も動かせず、歌も歌えずギターも弾けず、天井を見つめて、死に至った。
まだ、歌いたい。まだ、歌いたい、のに。
そんな人生、そんな運命、誰が許すか。私は許さない。
届け。消えるな。一緒にいてくれ。
もう離さない、もう二度と離してたまるものか。
異なるものを結び付けろ、それが私の義務だ——!
「ルチアぁっ!勝手に、消えるんじゃっ、ねえぇ!!」
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そのとき、世界は光った。
いい加減な表現だろう。私だってこんなこと言われたら何がなんだかわからない。
でも、実際そうなのだ。眩しい光が世界をいっぺんに包んだ。
私は目をしっかり開けていたのに、何一つ捉えられなくなった。
雷鳴は聞こえない。ものすごい雷のせいでは無さそうだ。
失明したわけじゃない。この白い世界の光の拡張を、この目は捉えられている。
目を閉じたら何も見えなくなる。目を開けても、この踊るような光しか見ることはかなわない。
つまり、何も見えない。私に今起こった事象を観測することは不可能である。
まるで世界がその光景を否定するかのように、私の視界は眩しく遮断された。
ならせめて、その名前を呼ぶことぐらいは。
「ルチア…?」
「………どうしたのさ、ユイ。早く帰ろう?」
「え……?」
光が突然消えた。夕日の赤が、ルチアを縁取るように照らしている。
雨上がりのように晴れ渡った赤い空。燃えるような赤さは、むしろ現実感がなかった。
やっと戻った視界から、私は一瞬ですべてを把握する。
「ルチア…、あいつはどうした」
「あいつって?」
「いや、なんでもない」
だから、なんとなく素っ気なくしてしまった。変に気取られただろうか。
<羽生>は、羽生巡は、跡形もなく消えてしまった。
四方を見渡しても、今の一瞬で隠れられるような場所は無い。
試しにルチアをその場に残して神社の周りを一周しても、何も見つかりはしなかった。
あの瞬間、世界があいつを否定したのだ。
現実の羽生巡という器をのっとった精神体であるあいつを。
人間の私に観測されてはいけないことだから光が、あいつが消える瞬間を隠した。
なのに、羽生そのものがこの場から消えてしまった。ということは、羽生自体が何らかの異常でここにいたということ、か…?
解らない。なんでまた、こんなことになる。
運命はいつもこうだ。
<世界の意志>を私は、いつも越えられない。
唯一の救いは——。
「ごめんごめん、さあ帰ろうか、ルチア」
「うん!」
——死者であるはずのルチアが、あの瞬間消えかかったはずの彼女が、否定されずにこちらにいるということ、だろうな。
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そうして私達は帰路についた。
私がときどきボーッとしてしまって、ルチアにいらぬ心配をかけてしまった。
しつこい彼女をなんとか振り切り、部屋のベッドに倒れこんだ。
今日は本当に、大変な一日だった。しばし休憩。
ジャケットを脱ぎ、汗を流しに浴室に向かう。
共働きの両親はまだ帰ってこない。シャワーで済まそう。
姿見に写った自分の身体に、一つだけ。
一つだけ、篠原結衣と違うもの。
運命なんて否定する。その考えを強く肯定する切傷が、深く刻まれていた。
「そうだ、マックにいこう」
翌日、病室に入ってきた結衣さんはそう言った。
「マック?すみません、僕はソニャー派なんで…」
「おい、今の私の発言をどう解釈したらPCの話になるんだ?マクドゥナルドゥだよらんらんるぅ」
「や、外に出るとまた死にたくなるんですよ。周囲のリア充オーラが凄くて」
「なんでお前はそんなクズっぷりを発揮してるんだ…いいから行くぞ羽生。車椅子は押してやる」
そうして、結衣さんに車椅子を押してもらってマックへ向かうことに。
最近のマックはボケモンのソフトと連動しているらしく、マック内でのバトルの勝敗でクーポンがもらえるんだとか。嘘でしょ?マックはいつの間にそこまで進化したんだ…。
桜の木は緑色に染まり、日差しを浴びて風に揺れている。
子供たちのはしゃぐ声(幼稚園から聞こえるだけ)、(僕らを不審がっている)おばさん連中の話し声、倒れこむ老人(大丈夫か)…。
ああ、春っていいな…。
「いいか。私の勝ちは決定しているんだ。だからマックで配信されているボルテッカ—つきのビカチュウはもらい、羽生が私の勝利したクーポンぶんのチーズバーガーを買う。いいな?」
「あれ?勝負してなくないですかそれ?」
「無益な争いは何も生まないぞ」
「チーズバーガーを生むんですよ。それに僕、お財布もってきてないんですけど」
「クソッタレ!チーズバーガーをおごってあげないわけじゃないんだからな!」
「僕におごっちゃうんですかそこ!?」
ぷんすか怒ったような結衣さん(ちょっと可愛い)はレジに行き、チーズバーガーを2つ注文。これで240円で済むなんて、日本のマックは神すぎる…。
「あ、あと水2つください、氷は少な目で」
「はーい」
「あとスマイル(本気)を一つ」
「はーい♪」
…神すぎる。っていうか水ってもらえたのね…。スマイル0円って都市伝説じゃなかったんですね…。あと結衣さん遊びすぎだろ。
放置されていた僕を押して、二人掛けの席に向かい合わせで座った。ポテトも食べたい。
「さて!」
「はい!」
「喰うか!」
「はい!」
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「美味いな。香ばしいパティにまろやかでしっかり厚みの感じるチーズ。やはりチーズバーガーは最高だ…。」
「マックポークはどう思います?」
「あれも美味い!シューシーなパティとシャキシャキのレタス、とどめはあのソースだ。ガーリックとブラックペッパーをソースに採用したやつ表に出ろ。結婚してやる」
「マックポーク食えよもう」
羽生のテンションが珍しく低かった。ツッコみ切れない、というだけではない。
それは今日彼女に会ってからずっと気にかかっていたこと。
いつも豪胆な彼女が、まるで別人のように思える。
結衣の様子がおかしいのだ。
口調も調子もまるで変わらない。本当にいつもどおりに見えるのに。
天真爛漫な篠原結衣像はそのままに、彼女を纏う空気が違う。
少し震えていたり、いつもより笑顔が綺麗だったり、あと今日はポニーテールだったり。
まるで子供みたいに、結衣は羽生に笑いかける。
…みたいに?いや、いやいや、違う。結衣だって同い年の、子供、だ。
黙ってチーズバーガーを啄みながら、羽生は軽くショックを受けていた。
自分の過去の傷、自分を苦しめている雪名の傷。
それが目に見えそうなほどはっきりしたものだったから、ずっと失念していた。
いや、違う。甘えて、いたんだ。
傷ついた自分を受け止めてくれる。そんな結衣に、自分は甘えていたんだ。依存していたんだ。
その事実に、彼はようやく気付く。気高く振る舞う結衣が、本当はふつうの少女だということに。
店内には冷たい音楽が流れ、温かい光が結衣を眩しく輝かせた。
「…羽生?どうした、ケチャップついてるぞ」
「結衣さん、あの——わっ」
「男でも顔は綺麗にするもんだ。恋してるなら尚更、な。」
ざわ。
羽生の心がざわつく。結衣の見せた表情は、あまりにも大人びすぎていた。
さっきまでとはまるで別人。昨日までとも、また異なる姿。
この時点で、羽生巡はある確信を抱いていた。
先刻まで考えていたことの、さらにその先。篠原結衣という人間の本質。
彼女はきっと、“脆い”という確信。
「さて、今日連れてきたのはほかでもない。いい加減、お前の物語を終わらせる必要がある。私もただ茫然と過ごしていたわけじゃないぞ。この案件を解決するためにいろいろと——」
「結衣さん。」
「…ってなんだ羽生。話の腰を折るんじゃない」
「今のうちに言っておきたいことがあるんです。いいですか?一回しか言いませんよ」
「……なんだよいきなり。珍しいから言ってみろ」
覚悟を決める。
これでいいのか?いいのだ。
こんな嫌な役回り、今まで結衣さんに甘えてきた僕への罰だ。
何より、こうでもしなくちゃ本当の物語は始まらない。
建前の関係を乗り越えて、本音でぶつかり合える関係にならなくちゃいけないんだ。
戦おう。いつまでも子供のままじゃ、いられないんだから。
「——僕は寒川雪名さんのことが好きです。恋してます。でも。
今ようやく、結衣さんのことも好きになれそうだと思えました。ごめんなさい」
冷たい音楽は、止まった。
そのテーブルだけが無音の世界になった。
凍てつくような極寒の寒さを結衣は感じて、その寒さに耐えられなくなって、猫は叫ぶ。
「…………っ…………はぁっ!!??なんでっ、謝るんだよっ!?」
それに対する羽生の返答は、決まっていた。
「結衣さんのこと、僕はぜんぜん解ってなかった。傷ついた自分の心情に肩入れして、周りを見ようとしなかったから、自分を殺したくなって。だから、結衣さんに会えた。ありがとう。ごめんなさい。
死のうとして、ごめんなさい。」
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その言葉が、彼と彼女の物語を破壊した。
上辺で、外面で取り繕っていた“協力関係”は粉々になり、本当の姿が露わになる。
大げさな表現でもなんでもない。当の二人にはそれが分かっている。
強い少女を演じてきた篠原結衣の泣き顔が、それを如実に語っていた。
「…………んなこと、今更言うんじゃ、ねぇよ………っ」
崩れ落ちるのは、弱い結衣だ。本当の彼女だ。
見抜かれていた。ほとんど完璧に演じられていたはずなのに。
今まさにあの問題に向き合って、強い自分を見せつけようとして、深呼吸をしたところを突かれてしまった。
「本当にごめんなさい。あなたに甘えるばかりの、こんな頼りない男で。こんな僕じゃ、結衣さんも自分の弱さ、見せられなかったですよね。」
羽生の謝罪はとても温かかった。
昔を友人を懐かしむような、無防備な笑顔。
羽生もまた、本当の自分を無くしていたのかもしれない。
「………ちょっと、そこの公園まで行こう。わたしも、羽生にちゃんと言いたいこと、ある。」
こうして物語は廻りだす。
「えっ!? あのPRSのギターがこんな値段なの!?」
「ええ!!PRSはやっぱり良い!でもやっぱり高い!そんなジレンマに我々は挑みました!」
「いいねいいね!くっそー欲しいなーPRS…バイトしよっかなー…」
「もしご購入の予定があるのでしたら、商談中ということにすれば無くなることもありませんよ?」
「くぅぅぅ!だがしかし…あたしには心に決めた相棒が…!」
「…あれかな?店からしたらなんとも美味しい客だよな…ふふっ、でも昔のアタシもああだったっけ?」
死者が生者を繋ぐ物語。
死者のために生きるのが禁忌なら、それが孕むものは何だろうか。
そして、その禁忌を犯す少女に、未来はあるのだろうか。
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すんすんと鼻を啜りながら、羽生に顔を見られないようにと背中を向けて歩く結衣。
羽生が思ってたよりもずっと、涙脆い女の子だったらしい。
あんまりにも黙っているから心配になって、羽生は声を掛けようとして、やめた。
結衣を心配したときにかける言葉なんて、知らなかったのだ。
彼女を慰める言葉を、そんな距離の保ち方を彼は持ち合わせていなかった。
口をつこうとする軽口を羽生は必死で押しとどめる。
「あ」
そんなとき、結衣が声を漏らした。
「どうかしたんですか?」
「…うん、ほら、雨。」
「…ホントだ。あそこ行きましょう」
いつの間にか重く曇った空から、ぽつぽつと降り出した雨。
それを避けるために、二人は木造の小屋まで駆け出した。
…こんなときに結衣の手を引いていける羽生だったら、すべてが違っただろうに。
寒川雪名は目の前のギターのあまりの美しさに目を奪われていた。
店の明りを反射して輝く、光沢のあり滑らかで、それでいて素材の持つ木の暖かみを失わない、まさに芸術品と呼ぶべきボディ。
ネックに描かれた宝石のようなバードインレイ。そこを流れる6本の弦。
欲しい。雪名は心からそう思った。
しかし雪名はまだ学生。こんなに高い——
「19万…8000円…」
ここまで高価なギターを手にするのは骨が折れる。いくらバイトを重ねている彼女でも、かなり遠い目標だ。
ここは我慢。だって尊敬するギタリストが言うんだもの、
「ギターなんて安くていい。大事なのは自分に眠る音楽と仲間さ。」と。
でも——欲しい——!意志の弱い少女だった。
「あ、すみません店員さん。このギター試奏したいんですけど」
それは——寒川雪名が、最も愛した声だった。
聞いたことがある、なんていう次元ではない。
自分の声の次くらいには毎日聞いている。
聴いているって次元じゃない。愛聴している。
初めて聞いたときからずーっと憧れて、ずーっと欲しがって、手に入らないから好きなもの。
こんな風に歌いたいって、こんな風に生きたいって。
寒川雪名の願いと歪みが込められた、この世にたった一つの美声。
名前も知らないその大好きな女性の声が、その空間に響いた。
「あ——」
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声も出せず、雪名はただ茫然と立ち尽くした。
生で見たことはある。でも遠かった。ステージの輝かしい奏者とそれを見るだけのファンでは、遠すぎた。
でも今、ルチアと雪名は初めて同じ場所に並んで、出逢った。
二人のステージは同じになったのだ。
「あ…あ、あぁ」
声をかけたい。話したい。というか抱きつきたい。
そんな感情とは裏腹に、雪名の足は根でも張るかのように動かなかった。
「……ふっ」
「〜〜〜〜〜ッ!!」
ルチアがチラっと雪名を見て、わずかに微笑んだ。
その笑顔の儚さと美しさに、雪名の胸が高鳴る。何だこれ。ルチアさん女の子にモテすぎだろ。
そんな雪名の様子を楽しむようにルチアがギターを弾き始める。
…アドリブでも弾けるのに、すべてGDMの楽曲。もちろん雪名はすべて知っている。
…あぁ話しかけたい!その曲いいですよねぜひ歌ってください!と言いたい雪名。顔を赤くして全身がぷるぷる震えている。
そんな雪名をチラチラと誘うように見ながらルチアはギターを弾き続けた…。
「あぁ…もう何から話せばいいんだよ、くそったれがっ」
「あれ?さっきまでこの子泣いてたよね?あのキャラはいったいどこに?」
ひとしきり泣いてからの結衣の立ち直りの早さはさすがだった。というか空気を読んでほしいくらいだった。
雨の日に泣いてる女の子を公園で抱きしめたい願望をかなえられることは無いらしい。残念だ。
「おいコラ羽生。私の全身を舐めまわすような視線を投げかけてくるのはやめろ」
「いやです」
「いやそこは否定しろよ!?ここで本音をぶちまけるという建前で変態キャラになる気か!」
「…雨に濡れた女の子って、いいですよね」
「いいですよねじゃねえええええええええええええええ!」
シリアスな空気を返せ?いやです。
だって濡れた髪からしたたり落ちる水滴を目で追うと体に張り付いたシャツが自主規制。
「…はぁ…ははっ、そうさな、今更そんな贋物めいたシリアスさなんていらねえだろ。」
「私たちは私達だ、ですか?」
「そうだ。この世界の主人公は自分以外ありえない。ドラマやマンガから借りてくるそんな空気なんて嘘くせえ。こんなふうになるのが運命なら、それは何にもおかしくなんてないのさ」
「おー、結衣さんかっけー」
現実の厳しさ、と一言で言ってしまえばそうなのだが。
常識というものがいかに人生の可能性を潰しているか、というものを結衣は理解しているのだろう。
「…まず、な。私も羽生に謝らなくちゃならない…いや、謝りたいことがある」
「…はい。」
「今回の騒動…羽生と寒川の“リンク”事件は…私のせいかもしれない」
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「少し長い話になる。…聞いてもらえる、か」
「…はい」
子供ってのはさ、案外物事の真理への理解が早かったりするんだよ。
数学でも、新しい公式を知ってから過去の問題を見たら、どれが正しい解き方なのか不意に分からなくなったりするだろ?
同じように、大人ってのはどんなに分別のあるやつでも、真理へたどりつく前に余計な思考をしちまう。
だけど子供はまっすぐだ。余計な障害なんて作らないから答えが目の前に導き出せる。
私はきっと、そんなことに快感を見出す子供だったんだ。
戦隊もののアニメから正義を知り、ヒーローものから人を救うことの価値を知り。
家族に愛されて愛される心地良さを知り、恋をして人を愛することの温かさを知る。
不意に誰かを傷つけて人を傷つける苦痛を知り、傷つけられて理不尽さと憤りを知り。
そうやって私が生まれていく。物事にいちいち真理を、正解を求めて、いちいちそれを吸収する。
そうやって私は夢を見る。どんな大人になりたいのか、真剣に考える。
『誰も傷つけず、正義を貫き、すべての人を愛する人間。そんな人間になりたい。』
そうやって零れ落ちた理想が、あのころは何よりも眩しいものに見えたんだ。
必ず手に入ると信じて、いつか辿り着けると信じて、その夢に向かってひたむきに走り続けた。
それが、破綻していると気付く間もなく。
そうして私は成長する。
現実世界にはそんな理想なんて転がってやしないと知り、理想も正義も歪んでいく。
錆びついてしまった理想は、もう頑固すぎて修正が利かない。
『誰も傷つけられず、誰かに傷つけられることもなく、正義を貫くのに、誰かを責めることは出来ず、すべての人間を愛さなくてはならないから、だから』
だから私は破綻した。
他人のあらゆる悪意を認められなくなってしまったのだ。
それを認めたらきっと私は、誰かを嫌いになってしまうから。
なら、宙ぶらりんになったその悪意は?責任の所在は?誰が悪い?
そうして理想の矛盾を認めることを拒み、そして、すべての悪意を自分自身に向けた。
誰かが傷つくのは、止められなかった自分のせい。
誰かが死ぬのは、救えなかった自分のせい。
ぜんぶぜんぶ、私が悪かったのです。
どこで道を誤ったか?そんなことは分からない。
分からないから、間違いを認めるわけにはいかない。矛盾した正義の心で、不器用に生きていく。
だが、誤った理想が運んでくるのは、誤った結末でしかなかった。
-
「仲の良い、男がいた。名を倉科鷹人、タカトといった。
始めはよそよそしくしていて気付かなかったけど、接するうちに分かった。
アレはとてつもなく私に似ていたんだ。」
いつも明るくて、元気で、皆を盛り上げて、それでいて空気が読めて。
気の強いように見えて、遠慮しがちで。どこのグループにも属さず、それでいていつも誰かといる。
そんなあいつのことが私はまるで理解できなかった。
理解できないから、ますます好きになるほか無かった。
そうすれば私の持たざるモノの正体がきっと掴める。
好きになるから本音を見せてくれる。そうして私はようやく彼を理解する。
その答え、アレの本質は“底抜けの優しさ”だったんだ。
誰も嫌いになれない。
誰も傷つけられはしないくせに。
人を救うためなら、人を殺すことすらできると言い切れる。
悪を以てでも、彼は人を救おうとする。
そうして私の奇妙な感覚が真理を告げる。
彼は、私だ。アレの本質は奇跡的なぐらい私にそっくりだ。
でもあのときの私は否定した。違う、私はこんなに残虐じゃない。
悪を以て人を救うだなんておかしい。そんなことしなくても人は救える。
そう、子供ながらに思っていた。甘ったれた理想に酔っていた。
だがそれこそが異常であることを、私は思いもよらない形で彼から教わることになる。
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「あまり、詳しく話したくはない。私は鷹人のことが好きだったし、鷹人も私を肯定してくれた。
周りからしたら付き合ってるってやつだったと思う。」
私の彼を思う気持ちは紛れもなく正しいものだった。そこに間違いは無かった。
だが、その結末は絶対的に間違っていた。
私と鷹人は付き合っていなかった。
どれだけ一緒にいても、そこに愛情があって、好きだと伝え合っていても。彼氏彼女ではなかったのだ。
たぶん、そういうふうにならないようにしたのは私の方だ。
それも私の勝手な、不確かな考えのために。
『皆に優しい者は、誰か一人の所有物であってはならない。』
そんな考えを勝手に持っていた。
人々を救う英雄たる人物は、誰か一人でなくたくさんの人を救うから英雄なのだと、勝手に信じていた。
だからそこにある愛情のレベルが最大になっても、それでも自分の信念を貫いた。
皆のために尽くすのが、私の正しい生き方だと信じていた。
「彼はそれでもいいと笑ってくれたさ。まるで、可哀相な子猫を愛おしむかのような目で。」
鷹人はきっと気づいていた。
私の正義では、本当に大事なものは救えないと。
私の正義はどこか矛盾していて、どこかしら壊れている、欠陥品だと。
でも彼は、そんな私を好きだと肯定してくれた。だから生きていけた。
そして私の世界は崩れ去る。
「中二の冬、だったかな。鷹人が通り魔に襲われて入院した。鷹人は重体で、今も普通の暮らしは送れていない。
——鷹人が振った女の子が私を襲おうとしたのを、鷹人がかばったせいでな。」
ああ、どこかに落ちてそうなぐらい、ありふれた話だ。
私の正義が異常なのと、鷹人の正義が異常なことさえ除けば。
付き合ってないくせにまるで鷹人の彼女みたいに居座る私。
そんな私のために女の子の告白を断る鷹人。
それに業を煮やした、少女。
冬場だったから厚着をしていた。
だから犯人は刃物で無く、凶器には鈍器を選んだ。金属バット、だっただろうか。
初めは私を狙っていた犯人も私をかばい続ける鷹人に苛立ったのか、鷹人を何度も殴打した。
よりにもよって、頭ばかり狙って。
私に、何が出来ただろうか。一緒に逃げて、追われて、何度も殴られて、そのたびに庇ってくれる男がいて。
守られた、だけだった。助けを呼ぶことすら、出来なかった。
犯人の女の子は逮捕されなかった。
私たちは警察には「見知らぬ全身黒づくめの男に襲われた」と嘘をついたのだ。
もちろん、鷹人の提案で。元凶は私にあるので反論はしなかった。
鷹人曰く「あいつは悪い子じゃないから」と。あれだけ殴られておいてそれは何だ。ふざけるな。
犯人の女の子は学校に来なくなった。おそらく自分から。どこかに転校したという話も聞いた。
こうして異常な事件は幕を閉じる。
そう、鷹人は“底抜けの優しさ”を発揮しやがって。
私も彼女も傷つけないために、すべての損失をその一身に背負った。
人を救うためなら人を殺せる。
彼がそう言った意味はつまり、他人のためなら自分は死ねるという意味なのだ。
わたし、は?
みんなを傷つけるのが恐くて、鷹人と付き合おうとしなかったために鷹人に取り返しのつかないことをしてしまったわたしは?
わたしは何だ。誰も傷つけないんじゃなかったのか。誰も嫌いになれないんじゃなかったのか。
鷹人を傷つけたのは誰だ。あの少女か?違う、違う違う、わたしだ。
この黒い気持ちは何だ。憎くて憎くて仕方がないのは、ほかでもないわたし自身だ。
——私の正義は、理想は、
「間違っていたんだ。私の理想なんて所詮、どこかから借りてきた借り物でしかない。
それは決して自分の内側から零れ落ちたものじゃない。ただ見ただけのものが綺麗だったから憧れた。
それを傲慢にも自分の夢だと語り、理想だと誇り、自分もやがてはそうなるのだと妄想する。
そんな偽物じゃ何も守れはしなかった。本当に大切なものばかり、私は失っていたんだ。」
-
「でも…だったら私はどうすればよかった?鷹人と恋仲になっていたら良かったのか?
もしそうしたら周りの反応は?それでみんなが良かったねと笑ってくれるわけでもないだろ!?」
「結衣さん…」
「それはそれできっと誰かにとって疎ましい存在になるだろ!?じゃあどこだ!誰も傷つけない選択肢は、いったいどこにあるっ!!」
全員を助けられはしないと、子猫は叫んだ。
そうやって叫ぶことのできる子猫には、ある一つの前提がある。
それを見て可哀相に思う少年が、いまここですべきことは。
でも、と羽生は踏みとどまる。
——それでいいのか?
分からない。分からない。それがひょっとしたら、…いやきっと。
それはきっと、彼女を深く傷つけてしまう。もう二度と立ち上がれなくなるかもしれない。
「結衣さん」
「…あぁ。」
そうする必要が本当にあるのか?前に進むためだけに、あのためだけに、彼女を傷つけていいのか?
いや、だから。
「誰も傷つけないなんて選択肢は、無いのかもしれないですよ……なんて。」
そうだ。
結衣は叫んだ。その選択肢はどこかと、私の間違いは何かと、叫んだ。
それはつまり、誰一人として傷つけない選択肢が存在していて、結衣が間違ってしまったためにそれを選ばなかったという認識が、そもそも彼女にあるという証拠だ。
なら。
「どうしてそんな選択肢があると、確信できるんですか?」
「それは…だって、そういうのがなかったら、おかしいだろっ」
「どうしてあなたが間違っていると、確信できるんですか?」
「…私、は」
「ふっざけんなっ!憎しみの矛先すら正しく向けられないような人間がっ、すべてを救う?本当にバカだろ、あんたはっ!!」
「な…」
「どうしたら全てを救えたか?私はどこで間違ったのか?って、そんなの知るかよバァァァカ!そんなの、憎むべき人間を憎みたくないから、犯人の女の子を憎みたくない弱さを、その“間違い”に押し付けたいだけでしょうがッ!!」
結衣の顔が、驚いたような、泣きそうなようなものに変わる。
雨音に掻き消されることなく羽生の声が結衣に響いた。
「自分の間違いだったことにしたいのは、世界を憎む度胸が無いせいだ!
正しい選択肢を探すのは、現実から逃れたいからだ!そうだろ!
ハッキリ言ってやる、そんな選択肢も“間違い”もありはしない!!
間違ってんのは結衣さんじゃなくてっ、世界のほうなんだよっ!!!!!」
-
その言葉にどれほどの意味があっただろう。
どれほどの強欲があって、どれほどの傲慢があっただろう。
ただその言葉で、篠原結衣は羽生巡という人間を見誤ってはいなかったと気付く。
涙すら流して羽生は結衣という存在を悲しんだ。
こんなにも報われない人間、そうそういない。
ああ、きっと羽生は私の一歩先にいた。
だって彼の慟哭はきっと、彼自身に対するものだったから。
「………誰にもわかってもらえなくても、僕は結衣さんを肯定しますよ」
ああ、きっと羽生と私の出逢いは運命だ。
「あなたの理想は美しくて、尊くて、素敵なものです」
だって彼の慟哭はきっと。
私が欲しかったのはきっと。
「そして結衣さんは優しくて、」
鷹人が言いたかったことと同じで。
「正しいよ」
こんな私に対する、心からの肯定だったのだろう。
自分以外のすべてを救う。
倉科鷹人はそれでも強く笑った。
大切な人を傷つけてでも、自分が苦しみを背負っても、それでも本当の意味で彼女を救う。
羽生巡はそれでも負けない。
全てを救いたいけど全てを救えない。
篠原結衣はそれでも理想を守り続ける。
笑ってしまいそうになるぐらい、こいつらはバカで。
笑ってしまいそうになるぐらい、彼らは優しすぎる。
だから彼らは最後に、自分を傷つけ、神に祈る。
彼らの歩みに間違いなんて無い。
己の理想を貫いた結果に、間違いなんてありはしない。
それでも間違ったと言うのなら、正しかったと胸を張れるまで戦い続ける。
周りから批難されてもいい。それでも正しいと胸を張れるなら。
世界から批難されてもいい。間違ってるのは世界の方だと言い返してやれ。
本当の正しさなんてものを見つけるには、人間の身では追いつけない。
だから信じろ。全ての正しさを決めるのは、自分しかいないのだ。
-
※この回は作者が暴走しています。雪ノ下節です。下にある文章なんてありません。それは幻です。
まともな話にしようとしたのにどうしてこうなった…。そうだ。
そのとおりだ。
この世界に正しいことなんて、あるのか?
大人の言うことをよく聞いて。
先生の勧める進路に進んで。
人気のある大企業や公務員になって。
何十年も同じことを繰り返して。
退職して年金で暮らして死ぬ。
それが本当に正しいことだろうか?
それを正しいことだと子供たちに刷り込んで、そうじゃないことを悪いと批判する。
怒鳴ったり追い出したり暴力を振るったり。
そうやって力で「これが正しい人生なんだ」という大人の都合を押し付ける。
そうして子供たちは均質化されて商品化されて大人という労働力として40年を過ごす。
純真無垢な子供が抱く欲望などが割り込む隙はない。自我のない状態から既に教育は始まっているからだ。
働きたくないでござるなんて言えば冷たい目で見られるのは、「正しい人生観」というものが大衆の意識に刷り込まれているからだろう。
それはいったい何故か。答えは「国というシステムの成立のため」である。
みんな働かなかったら国が成り立たない。それだけ。
それだけのために、人々は「正しい人生」を強制される。親から子へ、先生から生徒へ。
憲法にある労働の義務や教育の義務などは、その特徴が如実に表れていると言ってもいい。
つまり、神様の手によって作り出された100パーセントの正しさを持つ子供がいたとしても。
それはこの世界ではちっとも正しくないかもしれないのだ。
「…ということでつまり、この世界は間違っているからみんな落ち着いて深呼吸して真理について考えてみようということだ」
「それってつまり宗教ですよね。でも世界中で各々で考えて“正義”が複数定義されてしまった」
「その正義はつまり教義だな。どれも間違いじゃないかもしれないんだ。でも人は自分の正しさを声高に主張しあってしまった」
「その結果世界は壊れかけてしまった。そこでもうそんなこといいから平和にのんびり暮らして長生きして死のうぜと言い出したのが日本と」
「国教が日本にはないのはつまりそういうことなんだろう。正義について考えるのを諦めたのがこの国さ。よってつまり、日本の国民に対する態度ってのは『正義について考えてるヒマあったら勉強して仕事して死ね』ってことなのさ」
「国を操る人間からしたらその方がよっぽど都合がいいってことでしょうね。…何の話でしたっけ?ニートの擁護?」
「要するに、全部世界の都合ってことさ。
異常な理想を持つ私達が異常たりえるのは、この世界から見たらの話であって。
もしかしたら空の上から神様ってのは、こんな私たちを嬉しそうに眺めてるかもしれない…ぜ。」
雨は、止んだ。
暗くて重苦しい雲の間を、無垢で強い光が切り裂いていく。
「だから、私たちは自分の決めた正義を手放す必要なんてない。もちろんそれは世界からしたら異常だから、世界から批判される。」
働けとか勉強しろとか。お前らは良質な社畜人間工場の従業員か。
「でも正しいって自分が思ってしまったら、もうどんな法律も関係ないし正しいんだ。例えば…」
「…なんでこっちをチラチラ見てるんですか?」
「すごく卑猥な話になるけど、」
「…。」
「黙ったか。さてはお前」
「そういうことは自分の行動に責任が持てる年齢になってからだと思います!はい!」
「…はぁ。あのな、高校生男子の85%はまだ攻めたことのない兵士だ」
「なんですかその例え方…」
「そして高校生女子の77%がまだ攻め込まれたことのない城だ」
「攻め込むってそういうことかよ畜生ォ!」
ところでこの男女間の8パーセントの差は何なんでしょうね。私、気になります!
「で卑猥な話だが、強姦は犯罪だが、それは性欲という人間の種としての根源的欲求から起こるものだ。犯罪ではあるが人として当然の欲求。食べることも寝ることも許されるのにそれは犯罪だ。種として正しく世界的にはアウト。これ自体おかしな話ではあるよな。」
「言ってしまえば恋愛要素自体人類のバグですよね。もしも人類の繁殖が性欲によってのみ行われていたら強姦オッケーで人類は繁殖、少年たちは自家発電でその剣の切れ味を落とすこともなくなる。」
「中高生でも自家発電はするのに、さっき述べたようにその大部分が行為には及ばない。これは“したくない”ではなく“するのがダメという風潮”だから。その風潮を作ってるのはもちろん国家、教育機関やマスコミだ。」
つまるところ、性行為はもっと若いうちから行われるように種として想定されているのだ。
その種としての正しさを規制するのは国家、世界側。理由はおそらく、されたら面倒だから。社畜養成的な意味で。
「つまり、世界は種としての正しさより国家としての経済活動、治安活動を優先させる。
なら純粋無垢な子供がもつ種としての正しさ——各々にとって一番大切だと思えるものは、周囲からどれだけ浮いてたって非難されたって、絶対的に正しいのさ。」
その清々しいまでの結論を聞いて、羽生はふと考えた。
『なら、僕は、』と。
「だから、結衣さんは初めからそういう人間だったと。ヒーローとしての正しさを生まれ持ってきたと?」
「ああ。私という自我が形成されたときに私は既にそうだった。そして今も変わらない。それは生まれ持った個性であり、本質であり、私にとっての正しさだよ。」
世界のほうが間違ってるかもしれない。
その発想を抱いた篠原結衣は、初めて太陽のような笑顔を見せた。
ずっと、苦しかったはずだろう。自分はこれで正しいのかと、ずっと苦悩してきたのだろう。
救ってやれてよかった。羽生は心からそう思う。
でも、彼もまた同じく“他人を救いたい人間”なのだ。
「なら、僕は、」
-
「僕は、」
——自分のやっていることは、寒川雪名に対する理想の押し付けだった。
羽生はそう自覚し、わがままだと叫び、それでも届くまで諦めなかった。
それがどれだけ罪深いことなのか、痛いくらいに解っていても。
「彼女のそんな姿に、そんな正しさに、心から憧れて、惹かれたんです。
音楽に夢中な誰よりも子供っぽい姿に。彼女の正義は、正しさは、宝石みたいに美しかった。
美しく、純粋で、穢れがなくて、それこそ無敵だった。どんな常識も、彼女の音楽という正義の前じゃ意味を持たなかった。
だからそれが彼女にはふさわしいと思った。宝石みたいに大事にされて、そのまま光り輝いてほしかった。」
その言葉は、羽生にとっての懺悔だったのかもしれない。
あの行為にどれだけの正当性があろうとも、それは彼女の人生を変えてしまった。
正しさは表面的には優しさではないのだ。
「そしてリンクが起きた。僕は絶望したんです。彼女は傷だらけだったから。
僕の理想の歌姫はそこにはいない。過去の傷を必死に覆い隠して叫ぶように歌う悲しい少女だ。
でもリンクしたからこそ解った。彼女の望む姿は二つ。」
その二つは、雪名にとってはどちらも同じくらい大事な理想だった。だから選べなかった。
でも、羽生は選んだ。そこに介在したのはもちろん、羽生の理想である。
「一つはあのバンドのボーカル。辛い過去を同じように持ってて、そこから生まれる音楽は切なくて悲しくて、だからこそ人を惹きつける。」
——でも僕は雪名さんには、そんなふうに歌ってもらいたくなかった。羽生はそうつぶやいた。
「もう一つの理想の姿は、彼女の本質。結衣さんの“ヒーローの正義”と同じように、雪名さんがずっと望んできた、純粋無垢な歌姫という理想。どんなに傷ついて諦めそうになっても彼女はその理想を抱き続けた。リンクが無ければ、その気持ちを察することも出来なかったと思います。そして僕は、」
僕は、僕は、と繰り返す羽生の声が震えている。
彼は強かったのだ。迷う余裕すら忘れて、理想の姿を追いかけてしまうくらい。
彼女を変えてしまっても、自分の理想は無敵だった。絶対的に正しいと思っていた。
それが初めて、篠原結衣という人間を見て、揺らいだ。
「彼女の痛々しい傷跡を、それでも大切な傷跡を、根こそぎリンクで奪った。
歌姫を僕の意志で守り抜いて創り上げた。彼女の、選択肢に対する葛藤すら無視して。
そうするのが彼女の正しい姿で、そうするのが僕の正しい姿だと思った。」
リンクによって雪名の苦しみは羽生が奪い、保存した。
雪名は抵抗しない。片方の選択肢が消えたなら、もう片方を選ぶだけだ。
そうして純粋無垢な歌姫の出来上がり。羽生の理想の姿であり、雪名の理想の姿でもある。
だが同時に、ありえたかもしれないもう一つの姿は、潰えてしまった。
「でも、正しいって何だ。僕は神にでもなったのかよ。」
他人のその選択を、自分が選択する。
理想と現実。その二つを見るとき、人は神の視点に立つのだ。
神の視点から二つの未来を幻視し、その傲慢さを恥ずかしいと思いながら、選ばなくちゃならない。
「僕は、これで良かったのか?」
思えば、結衣と羽生と雪名は似たようなことで悩んでいたのだ。
自分が元来持っている理想。自分という存在の本質。つまり、夢。
周囲や世界が自分に押し付けてくる理想。つまり、現実。
そのどちらを選ぶのが正しいのか。人間として、一人の責任ある社会の歯車として、家族の一員として。
「…私に言えることなんて、そんなに無いよ。結局、自分を救うのも決めるのも、最後は自分だ。」
理想のために周りに迷惑をかけるのが本当に正しい姿だろうか。
現実のために夢を捨て去ってしまうのが本当に正しい姿だろうか。
「それが正しいし、同時にひどく残酷だ。でも、お前と同じようにはできない。
お前のしたように、他人の理想と現実を、他人の正しさを決めることなんて、私には出来ないさ。」
やらなきゃならないことがある。
やりたかったことがある。
ならなきゃならない責任がある。
なりたい理想の姿がある。
「…だから、これから喋るのは全部独り言だ。聞くなよ、いいか聞くんじゃねえぞ。」
人生にはリセットボタンも周回プレイも同時進行も無い。
現実のルートに入ったら夢のルートはもう知ることすらできない。
夢のルートに入ったら現実のルートにはもう戻れない。人生はコンプリート不可能だ。
時間は有限なくせに二者択一の選択肢はうるさいくらいに自分に迫ってくる。人生はクソゲーだ。
「…お前の選択がどれだけ罪深いことだろうと、傲慢なことだろうとさ。
お前は今そんなに苦しんでいて、それは全部、寒川のためなんだろ。
私はその苦しみは、優しさだと思う。」
死んでも選びたくないし、どれだけ無視を決め込んでも決めなくちゃならない。
どちらを選ぶのが正しいのか。その神の視点に立つことがどれだけ傲慢なことか。
恥ずかしくて苦しくて泣きたくなる。それでも選ばなきゃならない。
「それに今日までその正しさが揺らいだりしなかったんだろ。
それってつまり、そのお前の理想の正しさの証明なんじゃないか?いいんだよそれで。
そんなに優しいお前が、一番大切な人に押し付けられるくらいに大事な理想なんだ。
何より、そんなに思ってもらえる寒川は幸せもんだろ。」
だから、選ばなくてはならない。
たとえどれだけの犠牲を払っても、たとえどれだけのリスクを冒しても。
「お前の選択は勇気と愛情に溢れてる。理由なんて、そんなもんでいいんだよ。」
人は、一番大事な姿を選ぶしかないのだ。
-
「…はぁ。ほんっと、結衣さんがカッコ良すぎて素敵すぎて何も言えないです。」
「お前はそういう歯の浮くようなセリフは私じゃなくて寒川に言おうな。」
「それが言えたら苦労しませんよ」
「…はぁぁぁぁ。ホントにもうコイツは、まったくどうしてこうなのかねぇ」
「…なんかイラッときますねその手振り」
ここまでにずいぶんいろんなことをぶつけあってきた。
だけどそこまでしても、私と羽生はお互いに知らないことも多い。
それこそリンクでも起きない限り、人は他人のすべてを知ることなんて出来はしない。
だが、本当に語り合うべきことはもっと別にある。
そのことが、今まで話してきたこととぜんっぜん路線の違う話で、しかも単純明快な話なのがどうにも呆れる。
「あのな羽生。お前寒川に好きだとか愛してるとか言ったことないだろ」
「もちろん。」
「…それが異常なんだっつーの。お前は寒川の親父か何かか。」
「…どういう意味です?」
「目線を履き違えてるって言ってるんだ!表面的には友人同士か恋人同士に見えても、お前たちの関係はまるで過保護な父と娘だ。相手の苦しい記憶を受け持つ?思いきり音楽を楽しんでもらいたい?そういうの全部、友人同士でも恋人同士でもおかしなセリフだよ。言い換えるなら飼い主と猫とか、芸術品の壺と壺マニア。」
「壺!?」
猫や壺に「好きだ」とか「愛してる」とは言わないだろう。でも撫でたり磨いたりはする。
羽生の寒川に対する態度はまるでそれだ。本当の意味で対等な位置に立とうとしていない。
しかも今回の大本の原因が案外それのせいかもしれないというのがなんだかイラッとくる。
「もっとふつうでいいんだよ。好き合うっていうのはお互いがお互いを求めあうってことだ。
彼女の幸せはお前の幸せなしには成り立たないっていい加減気付け。」
「…それ、傲慢だとは思いません?」
「思わないな。そう思うならそれは寒川に対する侮辱だし、今回の事件は何も解決しない。」
いい加減、事件の全容が見えてきていた。運命を否定する私だが、今回はそもそも相手が“人間じゃない”。
周りからは何も気づかれない、異常な事象『リンク』の行使がある時点で。
最初からこの事件には人外の意思があり、その意思はきっと悪意じゃない。
たとえば。
もしも神様がいたとして。
辛い過去を乗り越えようとした少女がたまたま「変わりたい」とお祈りしてしまったりして。
その子を観察してみたら両想いなのに異常な関係の二人を見つけてしまって。
そんな二人を導いてやろうなんて思ってしまったりしたら。
二人を正直にぶつけさせるために“リンク”なんてものを起こしてしまって。
たまたま死亡してしまったルチアをそのために生き返らせ、死亡を無かったことにして。
私とルチアの前に現れ、私自身の歪みもついでに処理しようとしていたなら。
これで事件のすべてに説明がついてしまうのだ。
認めたくはないのだが、そもそも私が羽生に乗り移ったアレと対峙し、アレが何らかの超能力を行使したのを見てしまっている。
否定のしようがない。私はついに、運命に対して負けを認める。
認めるからここで一発ぶん殴りに行こう。
-
「いいから、お前ちょっと駅前の楽器屋に行って来い。寒川がいるはずだから」
「…なんでそんなこと分かるんですか?」
「私の半身が捕らえて離さないのさ」
「この人の支配系統はいったいどうなってんだろう…まぁわかりました。ケリをつけてきますよ」
「ああ。私はちょっと賽彩神社燃やしてくる」
「発言がナチュラルにアウトすぎる…警察沙汰はやめてくださいね」
「バレなきゃいいって友達が言ってた」
「さっきまで正義について語ってた人のセリフじゃないですよねそれ!?」
雨でぬかるんだ土を踏みしめ、公園を出る。
気まぐれな雨はすっかり降りやんで、ちょっと虹なんか見せてる。演出いいじゃん、神様。
私は右に。羽生は左に。
「頑張れよ。じゃあな。」
「ではまた。いろいろありがとうございました。」
「こっちこそ、ありがとよ。」
別れ際はあっさりとしていた。
これでいいのだ。あまり話しすぎると、自分を出しすぎると、私の正義は他者を脅かす。
剣はちゃんと鞘に収めて持ち歩くのが正しい戦士のあり方よ。
あいつはなんとかやるだろう。
なんていうか、あいつは強い。眩しいくらいにまっすぐで、その眩しさを疑わない愚直なやつだ。
死にたがりなんていつの間にか乗り越えているくらい、あいつは愛情を武器にしている。
どうしてリンクが起きたのか、結局言わずじまいになってしまったが——ま、そりゃまたの機会にってやつだ。
賽彩神社のクソッタレ神様を問いただしたら、久しぶりに鷹人の見舞いにでも行ってやろう。