ワザップ!フォーラム
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第十一話「箱崎謙三神軍一等兵」
「…いつまでも主の御心のままに、アーメン」
御伽噺の時間が終わったようだった。
気付けば、聖書に少し汗のシミが付いている。
小西は途端にロヨラ神父に駆け寄り、片づけを始める。
これほど良い使い走りもいないだろう、それに気を良くしているのか
それともネジが緩んでいるのか、ロヨラは笑いながら酒井達に話しかける。
「日曜日にも〜いらっしゃって〜くださ〜い」
酒井と遠藤も笑った。
日曜日に行くかどうかは、考えようともしていないのだ。
だが、直ぐに初江に向き直った。
泣いていたその顔も止んでいる。
「…行きましょうか、私の家」
—— ◇ ——
教会からそう離れていない所に、見かけの良い集合住宅がドンと建っている。
周りが余り色気の無い中で、これはRGBのバランスを崩す如くだった。
「夫は直ぐ近くに住んでおりますの…箱崎謙三、ご存知?」
酒井も遠藤も首を振った。
あの雑誌にだって載ってない。
二階の初江の部屋に入ると、お香の匂いがした。
しかしまだ日が昇っている時間なのに、奥の部屋は薄暗い。
カーテンが半締めになり、日を拒んでいた。
酒井と遠藤は勧められて奥の方に行ったが、少しの料理を並べたらもういっぱいになりそうな
狭い机と、それに付随するたった一つの椅子、そして一通りの家具や箪笥だけだった。
「ごめんなさいね…すぐ椅子を出しますからね」
「いや、お構いなく」
「はい、おかまいなく」
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薄暗い部屋の中で、二人は部屋の真ん中の何にも無い所に座らされ、
お茶を啜りながら、初江の話を聞き始めた。
「私はね…この前、貴方方に助けられた時…警察署に行っていたのです」
「それは何故?」
「夫の活動を申告する為に…」
「申告するって…?
「そう…申告しなければ非合法扱いになってしまうのです、特にあの人は、特に、特に…」
初江はゆっくりと立ち上がり、箪笥から何か分厚いのを取り出した。
「アルバムですか」
「ご名答です…」
ハローキティの可愛い刺繍がされた立派な布アルバム。
きっと、明るい記録が載っているかと二人は思ったが、中身の写真はとても違った。
そこには、ケバケバしい、ちょうど朝見た右翼の街宣車をさらにサイケにしたような
トラックがあり、その前に初江と、その夫と思しき者が居る。
「森喜朗を殺す為に記す」
「人類を啓蒙し世界平和の為の手段として新人の聖書を発売中」
トラックのフロントには神軍一等兵と太いゴシック体で書かれていた。
そして、その上のスピーカーから察するに、街宣もする様だった。
初江は、改めて重苦しく言う。
「これが、私の夫…箱崎謙三です」
—— ◇ ——
数々の、思想的にも人物的にも何とも言いがたい写真を見て
酒井が言葉を失っている間に、遠藤が口を開けた。
「どうして、こんな人と…結婚を?」
「…私は、まだこの人が烈しくない時に結婚したのです…そして烈しくなってからも」
そこで初江は言葉を失った。
いや、言葉にならず、涙も出ない、無声慟哭と言う状態なのだろうか。
「あ、あ…あれは昭和五十年年代の終わりです、夫が突然言い出したのです、ヒロヒトが…」
酒井はアルバムの最後に、謙三が書いたと思われるメモを見つけた。
何かの原稿の様だったが、半ば殴り書きされている。
「私はニューギニアの生存率数パーセント、人食と砲弾の地獄から出てきました、
天皇ヒロヒトにパチンコを打ち、皇族ポルノビラを三越の屋上からばら撒き、
かつてのバカ上官を惜しくも殺害未遂で前科三犯であります…」
「このメモは、謙三さんが?」
「…はい」
酒井は、世の中には凄い者が居ると、無理やり何でも無い様に考えたが、
どこかで無茶が出てくる物だった。
人食とは、パチンコとは。
酒井よりも遠藤が何故か先に言った。
「謙三さんに会いたいです」
初江は、泣くか笑うか分からない顔をした。
「私は…そうして欲しいし、でも会って欲しくも無い…でも…」
(続)
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/奥崎謙三
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第十二話「狂しき世界」
『箱崎バッテリー』
『天皇一家絞る絞る一般人』
『神軍一等兵ここに現る』
『中古部品、バッテリー交換、車検…』
意味不明な文句と、普通のバッテリー店が入り混じった奇妙な一角がそれだった。
シャッターには大よそ上の様な文句がペンキで思いっきり太い字で書かれている。
初江は裏口の戸を開け、中に二人を連れて入った。
「貴方…居ます?」
返事が無いが、初江は続けた。
「人を連れてきたの!」
奥でガタリと音がした。
そしてドンドンと音がした。
悪魔の様な男だろうか。
ケバケバしい衣装でもしてるんだろうか。
何を話し出すんだろうか。
「…貴方」
「おお、始めまして」
普通の、まだ髪の黒い老人だった。
流石は元兵士と言う所か、背も曲がらず、シャンとしている。
酒井と遠藤は顔を見合わせ、安心した様な顔を見せ合った。
しかし、次の一言が、酒井を現実に引き戻した。
「神軍一等兵、前科複数、箱崎バッテリー社長の箱崎謙三です」
「ほら、貴方、この前話した…」
「ああ、この二人方がお前を助けたんだね」
「ええ」
箱崎謙三は二人の手を無理やり引き出させてしっかり手を握った。
「有難う、神軍の加護がある様に」
—— ◇ ——
表で見たシャッターの裏側になるガレージに、二人は招かれた。
「これが私の車だ」
写真で見た通りだった。
ケバケバしい文句がトラック全体に書かれている。
「これで皇居やそこらに行く、国家権力は世俗の法を行使するが私には天の法がある」
初江が申し訳無さそうに、ぺこぺこ頭を下げた。
こう言う人間なので、と謝っているらしかったのだが、
酒井はともかく遠藤はそれほど困惑しなかった様だ。
「君達、何か仕事は」
「やってないです、な」
「はいやってません」
「うちで働きませんか」
初江も流石にびっくりしたようだったが、
一番びっくりしたのは酒井と遠藤だった。
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「浮浪状態なのでしょう」
「まあ、言えばそうなりますが…こっちは頭が弱いし」
「そんなの天の法の前には関係無い」
箱崎の目が光っている。
酒井は慌てて、適当に口に出たのは当たり障りの無い言葉だった。
「いや、車の知識なんか無いし…ね」
「でも僕は…車、好きだよ」
遠藤は乗り気だったが、酒井はとても恐ろしい。
「私の言う通りにするだけで良いのです、それに全ての人が食い扶持に困らないのが天の法です」
訳の分からない事を言い出したが、それより気になったのは、
この店に一体客が来るのかと言う事だった。
「貴方、いくらなんでも急です」
「お前は黙ってなさい、この人たちには住み込んでもらう」
当面の事もある。
それに、この人に会いたいと言い出したのは自分達だった。
「…遠藤、良いか」
「兄さん…」
二人は深く頷いて、箱崎バッテリーの住み込みになる事を承諾した。
初江は、それにも驚いた様だった。
「本当に良いんですか、うちの夫は…」
「大丈夫、大丈夫…」
「うん、うん」
自分達でも大丈夫なのか分からないのに、酒井も遠藤もただ
そう繰り返した。
気休めにもならない。
—— ◇ ——
二人はバッテリー店の二階に上り、部屋を用意された。
かなり使われていなかった様で、かなり埃っぽかったが、
謙三は適当に掃った後に布団を敷いた。
「貴方方の部屋です」
「どうも」
「どおも」
窓からは夕焼けが見える。
「明日は七時に起きてもらいましょう」
どちらが雇用主か分からない様な言い方だが、謙三に逆らったら
おっかない事になりそうなのは明らかだった。
「え、遠藤、分かったか、明日は七時だ」
「はい、はい、兄さん、はい」
初江だけが、何も喋らず、二人を不安そうに見つめていた。
(続)