(2024/3/10(日)の私のダイアリー:栄養価を摂る必要性)
私の今日の夜ご飯は鍋だった。苦手な野菜がてんこ盛り。とても気が気でなかった。
インスタ映えを狙って若者の流行りのフードを追い求めている私だが、どうやら舌がそういった食べ物に馴れてしまったようだ。
「美味しい」ではなく「この味が普通」という、そういう味覚を持ち始めていた。
そんな私の舌には野菜なんてとても合わなかった。
でも、野菜って食べなくても生きていけるんじゃないのかな?
そう思った私は妄想を始めた。
少子高齢化で年金が少なくなり、税や物価が高い日本でわざわざ野菜を食べてまで長生きする意味はあるのだろうか。
体が衰え快眠すら味わえなくなり、不自由が増えていく中で「生きていたい」なんて野望は出てくるのだろうか。
私が存在することでその下の層が私なんかの為に支えなくてはいけないのである。だったら還暦まで生きてそこから先の未来は無くてもいいのではと私は思ってしまう。
その時にはきっと医療ももっと発達しているはずだから更に長生きできるようになっているかもしれない。もし健康に生きるよう努めたら100歳超えも夢じゃないのかもしれない。
しかし、実際好きな物だけを食べて死んでという人生にしたほうが幸せなのかもしれないのだ。
そんなことを考えていた私だが、気づかぬうちに食パンとシュガーに手が伸びていた。今日もまた太ったのであった。