ワザップ!フォーラム
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まあすぐ飽きるでしょうけど
短編集なら許される、そんな気がしてしまって
※注意※
黒歴史が詰ってます
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『無題』
僕はひたすらに歩いていた。
といっても何かある訳でもないし、ある訳がない。
街灯の明かりに群がる蛾。ビルに挟まれた道は狭く、避けることも出来なさそうだ。
頭上に不安とアブノーマルな感情。まれによぎる自殺願望。
それを振り払おうとしても、振り払おうとしても。
—人間ってつくづく弱いもんだと思う心。
その思考と煌めく思い出はノーマルなものだと信じたい。
路地裏。
先ほどの道とは違い、街灯も無く蛾も見当たらない。
しかし、今現在深夜だったことに僕は気付く。
遠くのマンションから漏れる光ぐらいしか見えない。
なんでだろう。なんでだろう。いや、本当に。
社会不適合者と不条理に突き付けられた奴の脳はこんな色なのか。
なんて馬鹿馬鹿しいことを言ってる奴の脳は僕の色だ。
そういえば朝、雨が降っていたのだ。服から雨水が大量に滴っている。
そのことを思い出すと同時に、自分の足音にも違和感を感じた。
—当然だ。
狭く暗闇の道から出ると、大通りに出た。
暗さは全く変わっていない。大通りのくせに。そのくせして。
どこを見渡してもそうだ。
見えるのは遠いマンションからの光。
しかしそれ以前に心の矢印はまた違った方向を指している。
空?月が浮かんでいる。雲?そんなもの見える筈がない。
真っ暗だから。
僕?何の変哲もない。人?……人。
無人だ。そうだ無人なのだ。
胸騒ぎ。
何かに驚いたのか、僕は急に後ろを振り向いた。
黒い男。
黒い男は何かを呟き始めた。それは声と言えるのか。いや息だ。
僕はそれを聞きとる必要もないのであらかじめ男を殴っておいた。
後で付け回されないようにだ。この行為をすっ飛ばして無視するとどうだ。
……単に面倒なだけか。
雪溶けは終わる。終わる。終わる。終わる。
—昔、誰かが言った言葉の一片だ。雪溶けは何を表わしていたのだろう?
また頭上に感情が乗っていることを痛感する出来事があった。
僕は階段を上っているのだ。ひとつ、ひとつ、足を踏み外さぬよう。
ただ感情が重たすぎる。笑えない程に。いやむしろ笑い飛ばしてやろう。
笑い飛ばしてやった。そしたら何故か泣いた。泣いた。
暗い建物の中でその声は響く。響く。
同時に響いたのは—息。
その息、いや、声に感じた。
その声のする先、階段の先を見上げるために僕は視線を上に向けようとした。
何故だ、とてつもなく怖いじゃないか。
やっとの思いで目玉を上に動かすと、黒い男が立っていた。
口元が動いている………?
口元が動いている……?
口元が動いている…。
口元が動いている。
その声は口元が動くたびに大きくなっていった。
僕は階段の段に頭をこすりつけながら土下座をした。
きっとこいつは殴った……。
……?
胸騒ぎ。
というよりも本能的に視線を上に移した。すさまじい音がしたからだ。
その音、—男が階段から落ちてきた音は僕の体を吹っ飛ばした。
当然の出来ごとが起こった。
階段を一緒に落ちてしまった。というより落とされた。
軽い眩暈を感じつつ起き上がり、横たわる男に注目した。
黒い服の胸ポケットに何か…紙がはいっている。
僕はそれを手に取り、小さく折られた紙を広げた。
“希望と自殺願望、え”
「え」以降に文字は無い。あるのは乱暴な線、線、だけだ。
書いてた途中か。
見なかったことにしよう。それは考えた末、一番妥当な選択肢だ。
何か警察沙汰になることに関わっているのかもしれない。
一般人がむやみに手を出していいものじゃない。手を伸ばすのは狂気の沙汰であって。
横たわる男を跨いで、構わず階段を上った。上りなおした。
この建物の屋上に出た瞬間襲ったのは、—恐怖。
夜空が…いや夜空と言えるのだろうか。
それは月より何百倍も大きな星で夜空が覆い尽くされているのだ。
脳裏に浮かんだのはあの男の口の動き。
今ならはっきりと聞こえたはずだ。
—のぼる。ぼくはふたつの かんじょうをうしなう。にげたからだから。
そこで息から声になったのだ。
—ぼくはにげてきた。たとえそれがみちをてらすものだとしても。けがれをきらった。
—ぼくのきおくはのぼるとどうじにすりへっていく。
—おわらない。おわらない。おわらない。おわらない。ゆきとけない。いきつかない。つけない。
—おわらせて……!
そう…頭上にあった感情の半分、いやそれ以上は消えていた。だから階段を上れたのだ…。
それは希望。
それは自殺願望。
…次に目を開けた時、僕はその建造物の屋上から飛び降りていたことを悟った。
無意識にこんなに階段を上っていたのか……なかなか地につかない。
その終末の音は聞きたくなかった。聞こえなかったからもう良い。
…次に目を開けた時、視界に飛び込んだのは血まみれの手だった。
終末感は確かにあった。それなのに僕は虚無的でいられた。
…つぎにぼくは、めをさます。それはしっていた。
…そしていまきているふくは、赤くそまっているがあとで、くろく変色することも。
(完)
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〜『無題』解説編〜
まず、この話は何度も繰り返される構成になっています。
ただ無限という訳ではなく、限りある世界、時間です。
それはまず置いといて、この短編に出てくる表現を説明したいと思います。
個人的にすっきりしないので。
以下、分割
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・殆ど光がない夜であること
陰鬱、憂鬱な気分なんです。こりゃ単純。
・狭い道に街灯、それに群がる蛾
街灯は暗闇の中の光、…希望を表したかったんです。
ただそこを通過して歩むのなら、避けることのできない苦しみ、
蛾を避けずに行かなければならないんです、これが。
・「街灯もなく、蛾も見当たらない。」
実は主人公が見えてないだけで蛾は居ます。
多少の希望を見捨て、希望も絶望もない平坦な道を選んだつもりなんでしょうけど、
そこに見えない苦しみ、蛾はいるんです。どうせ後で気付きます。
・遠くのマンションから漏れる光
届かない、掴めない希望。
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・雨が降っていた。服から雨水が滴る。足音に違和感
なんつってますけど雨じゃないです、涙です。
この夜は主人公の感情全てなんでちょっとの涙でも哀しみは大きいんです。
だから足音に違和感、水たまりが出来るほどなんです、ええ。
・大通りでも暗さは同じ
どんな歩む命の中で大きさなんて心情に変わりなんてないです。
・無人
見えてないだけ。孤独だと自意識過剰になってるだけ。
・黒い男の小さな声
へえ、何か襲われたりしたんでしょうかね?声出てないですよ?
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・頭上の感情の重さ
歩くなかで自分にとって邪魔な感情は相当生きて生きづらいですよねー。
・笑ったら泣いた
情緒不安定です。というより、複雑な感情。
心の奥で後に一回死ぬことが解かっているから。
・黒い男の、だんだんと大きく形になる声
主人公に伝えたいという熱意の表れ。
・階段から転がり落ちる
声頑張ってだそうとした末です。
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・メモ、“希望と自殺願望、え”
続き…“えらぶことはできない、上れば両方消えて無くなる”
・乱暴な線、誰かに襲われたのか?
正直誰が襲ったのかは分かりません(笑)
この時に襲われて生きる力が無くなり、殆ど声が出なくなったってことです。
・大きな星を見て、恐怖を抱く
不気味で、というのもありますが、この時、やっと避けてきた苦しみに気付きます。
蛾です。暗闇で見えなかった(と信じたかった)んですが、
冷酷な希望に照らされようやく。
・今ならはっきりと聞こえた筈だ
希望、苦しみ。その二つの感情を見捨てた主人公が、
ようやくその二つの感情(冷酷な光)を直視したため。黒い男は苦しみの象徴。
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・雪解けは終わる。終わる。
雪が溶けてこそ春です。多分。新たな一歩ですね。
これ、主人公が過去に言った言葉です。
・おわらない。おわらない。ゆきとけない。いきつかない。いけない。
つまり…前に進まないんです。息を一つつく暇もないぐらい忙しく。
行き着く事も出来ず。でも終わりますよ、世の中終わりありますから。
でも前には進みませんけどね、行けませんけどね。
・そして、飛び降りる
自分がどうすれば終わらせることができるか知っていたんでしょう。
だって何回も、何十回も、何百回も同じこと繰り返してますから。だって…。
・こんなに階段を上っていたのか
主人公って序盤、結構記憶が危なっかしそうじゃないですか。
それはこの階段を上っていたからなんです。
だから記憶までも消し去ってしまうので気付かなかったんですね。
・終末観はあるものの、虚無的でいられた
だって生き返ること知ってるんですもん。もん!
・赤くそまっているがあとで、くろく変色すること。を知っていた。
当然赤く染まっているそれは血です。
そして黒く変色します。どういうことか解りますか?
相当な高さから飛び降りて、全身血まみれな訳ですよ。
で、放置され服も黒く変色する、と。
黒い男の出来上がりですね!
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相当ややこしくて解りづらいんじゃないでしょうか。
流れをまとめてみます。
1,なんらかの原因(ご想像にお任せ)でこの世界に入り、この小説内容に似た行動をとる。
しかし、一回目なので黒い男はいない。
2,記憶、感情が減る。
3,主人公は血まみれの状態で黒くなるまで放置される。
4,黒い男の誕生。この話と似た行動をとる。
5,同じ自分がこの世界に入る。この話と似た同じ行動をとる。
しかし、あの紙は書いていないので出てこない。
6,さらに記憶、感情が減る。
7,黒い男になると、次の自分に警告文を紙に書こうとする。が、何者かに襲われる。
とっさに服の胸ポケットに入れる。
8,そしてやっとこの話になる。
9,終わる時、それは記憶と感情が完全に無くなった時。
なぜならこの世界は主人公の感情だけの世界なのだから。
主人公だけしか入れない世界なのだから。
となると黒い男を襲った人物は……?
主人公が黒い男を殴るシーンがありますが、
あの時黒い男は紙に文章を書いていないのでそのときじゃないです。
一体なんのために?
考えりゃ解ります。いつか。終わりが必ずあるのだから。
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『救世主』
腐った街。
愛は無い。
楽園有り。
料金発生。
ゴミ処理場から出てくる煙のせいで洗濯物が薄汚れていた。
だが、恐らく原因はそれひとつじゃない。
昨日雨が降ったのだ。
錆びついた僕の家に籠っていたため、実際に見てはいないが、音で分かった。
この雨に曝されて干した服が汚れたのかもしれない。が、理由は他にも考えられた。
次に聞こえてきた音は雑踏。
綺麗な水が無いご時世、雨水を吸いに来たのだろう。
大概の奴は雨雲を見上げ、その雨をそのまま飲むのだが、
少々、脳の歯車が外れた奴は土の上の水溜りをそのまま啜ることも多い。
そいつらは薄汚れた家の前に干してある服や布を見つけたのだろう。
かなりの大雨だ、雨水が滴っているはずだ。
ここまで思考すれば誰だって解る——奴らが服に口を付け、吸ったのだ。
腐った脳。
水は無い。
嘔吐物等。
……発生。
神様は昔から居て、永遠に死ぬことは無いと何故か思っていた。
しかし、絵画等でよく見る、神とされる者は殆どヒトの姿形をしているのだ。
それに精神だって持っているだろう。
有神論に誤りはないとして考えてもみろ、こんな世界になる訳がない。
きっと何処かの路地裏で自殺したに違いない。
僕はゴミ箱の中にあった聖書の一部をちぎり、神への嫌悪感などを書き殴った。
あの廃工場の屋上に行って、紙飛行機にして飛ばすのだ。
無意識に街を闊歩する連中のせいで、なかなか前に進めなかった。
無理やりそいつらを押しのけて通ったらそのうちの一人が小さく舌打ちをしたのだ。
僕の鼓膜にその音がやけにこびり付いた。
目的の廃工場に着いた。
金属の階段を上るのだが、脆いせいか足を段に乗せるたびに音が鳴る。
不安を堪えつつも屋上に出た。
その時、思いっきり振りかぶって紙飛行機を飛ばそうとした僕の腕は止まる。
小学校があった頃、家をなくした公園のおじさんに紙飛行機の飛ばし方を教えてもらったのだった。
当時の光景を思い出しつつ、教えてもらった通りに投げた。
少し失敗。
だが風向きのお陰か、神様に対して皮肉にも飛ぶ。飛ぶ。
——その日の深夜、爆音の雷鳴が響き渡った。
あれを見て腹を立てたのか、気紛れか。本当に厭な奴だな。
*
——例の洗濯物のうちの一つ、布団から僕は起き上がった。
前日のような雨は降っていなさそうだ。胸を撫で下ろし、恐る恐る外に出てみた。
外にはまた人が群がっていた。が、様子が違う、座り込んでいる。
僕は焦げ臭い匂いに気付く。
無数の家が燃え盛っている。
成程、雷にうたれたのか。それで泣き喚いているのか、納得。
—神のせいか、僕のせいか。
*
今日、あの涙は燦々と輝く太陽の野郎によって蒸発した。
そして雨雲が出来た。
雨雲は僕らの街の上に留まり、今まで経験したことのないまでの大雨が降った。
涙を枯らしていた奴らは、さっきの哀しみを忘れて大騒ぎしている。
涙は無い。
笑顔溢る。
哀しさで。
喜びで。
これだけで救われる僕の世界だからこそ。
(完)
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『綺麗』
川沿い。
俺はシャワーを浴びる感覚でその少量の液体を被った。
独特の匂い、それまみれなのだから鼻がひんまがりそうだ。
確かあれは右ポケットの中に入っていたはず…。
スーツのポケットに手を突っ込み、ライターを取り出し、自分の体に火を付けた。
余韻に浸りたかったのだ。そのため足から燃やした。
なんとも言えない感覚。
くせになりそうだ。
何個命があっても足りないな、この感情は。
自殺をしているつもりは全くもって無い。
俺は新しい人間に生まれ変わるためにこの方法を選んだのだ—。
燃えろ、燃えろ、燃えろ。
体の全て、心の全て、人間の全てを焼き尽くせ。
燃えろ、燃えろ、燃えろ。
旧い自分を焼き尽くせ。そうだ。そうだ。
炎は足から膝までを焼いてる。
この行為に至るまで様々な出来事があったものだ。
そりゃそうか、人間だもんな。そりゃそうか、脆いもんな。
——誰かに見つかったらしい、視線を感じる。
燃やされながらその方に目をやると、一人の女性が狼狽してやがるのが見えた。
炎は太股までを焼いている。
—と、あの彼女のことを思い出した。
昨日、“別れたのだ”と、綺麗な俺はスーツにいれたままの写真を丸めてゴミとみなし投げ捨ててやろうとした。
だが何故か涙がこみ上げてきて無残にも出来なかった。
と、その時、死を選ぶよりも、炎よりも、何よりも罪悪感を感じた。
スーツに写真はまだはいったままだったのだ。
今までスローモーションのように感じていた時間が急に速くなる。
まだ間に合う。
炎はまだそこまで来ていない、手もまだ焼かれていない。
左ポケットに手を突っ込む、その手はライターを手にした時よりも怖かった。
——あった!
即座にそれをくしゃくしゃに丸め、川に放り投げ捨てた。
——自分でゴミとみなした俺が、綺麗なままのあの写真を。
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『敏感になった』
身体に触れる物は全て、感情を読み取ることが出来るようになった。
ある冷えた夏の夜、寒気を感じ、風邪を拗らせたのか、と俺は布団に潜ろうとした。
その時だ。
その布団が嫌な表情をするかのように感じたのだ。しかし布団に顔なんてあるはずもない。
あまり気にしないで布団に潜る。毎回の如く幸せな感覚だ。
と、同時に違う感覚がよぎった—感情か。
そう、それは罪悪感。
正直、何にそう感じたのかは解らなかった。解るはずもない。
気にしなかった。全く。
いつものように深い眠りに落ちていった——。
と、思えばくしゃみ。
本格的に風邪引いちったなと。
跳ね起きてそばにあったティッシュをつかみ、鼻をかんだ。
凄くしんどかった、苦しかった、凄く。
どすん、と横になった。
枕と俺の頭がぶち当たる。
…痛い、痛い、痛い、痛くない。
確かに痛いと感じたのだ。だが、体は何処も痛くない。
—この感覚が何度も、何度も続いて、今に至る。
どうやら触れたものだけ、感じ取ることだ出来てしまうようだ。
*
それからの日々は、そう、苦痛としか言えない日々だった。
ゴミ箱に捨てられた紙屑でさえ感情が剥き出しで本当に弱ったりもした。
ぎっしりと荷物が詰まったダンボールを運ぼうとしたら、それは女性で、俺の羞恥心が騒いだ。
コンピュータのキーボードを叩いていると、静かに黙りながら泣いていた。
朝、鏡を見た。すると汚れが付着していたので爪でとろうとした。
……まるで「こっちを見るな」というような表情をされた。しかもその鏡からは絶望がうっすらと見え隠れしていた。
言うまでもないが、とにかくうんざりしていた。憂鬱だった。
だがしかし、今までの出来事とは比べ物にならないような現象が起こったのだ。
夕食、なんともないごく普通の一般家庭の料理を食べた。
まず手に付けたのがサラダ。アイアムベジタリアン。
トマトやらレタスやらを口に放り込み、頬張った。
突然、そう突然に、涙が流れてきた。
まるで死ぬ時のようだった。
*
俺は鏡に触れた。
前と変わらない、相変わらずの表情を鏡はとる。
変っていたのは感情だった。
あの見え隠れしていた絶望は更に巨大な感情になっていた。
それは脳裏に自殺願望を感じさせるものだった。
そうか、やはり俺の感情か。
(完)
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『伊勢海老』
僕はそこそこの高級なレストランに一人で来ていた。
財布にも余裕が出来、仕事で疲れた体を癒そうという魂胆で、だ。
びしっとした背広のウェイターが落ち着いた足取りで料理を運んでいる。
テーブルに置かれていたメニューを広げる。もう何を注文するかは決まっていた。
「伊勢海老のフルコース」
無表情のウェイターに告げ、注文の確認をしたあとに何処かへ歩いて行った。
—胸が高鳴る。いつ以来だろう、食べたの。
待ち時間は長かった。しかしそう長くはなかったかもしれない。いや、実際長かったのかも。
目の前には伊勢海老が“豪華絢爛”のオーラと独特の匂いを漂わせている。
マニュアル通り、ウェイターが再度確認をとった。
「ザリガニのフルコースが一点、で宜しかったでしょうか」
「はい……………え?」
いやいやいやいやいや、さっきザリガニって……いやいやいやいやいや。
ザリガニって言ったよな、この男。
この目の前にある調理された生物は何処からどう見ても“伊勢海老”なる高級食材だ。
確かにザリガニは高級料理として扱われている。だがしかしいや何故に?
僕が頼んだのは“い・せ・え・び”だ。“ざ・り・が・に”じゃない。
合っているのは文字数だけな筈だ。
——もしかしたら、コレ、本当にザリガニなのかも。
すると、ウェイターは「それでは」と言い、足早に僕のテーブルから去って行った。
(待ってええええええええええええええ)
……しまった。確認の時に緊張しすぎて“はい”って言ってしまったんだった。
普通は違うメニューが差し出された時、その場で否定するか、後でそれを指摘するものだろう。
しかし“その場で否定”という選択肢はすでに失っている。
残された選択肢は“今から「これ、……ザリガニ?」と問う”……それだけだ。
ある障害物に僕は気がついた。
そうだ、自分は人見知りで口下手なのだ。
どうこの出来事を指摘すればいいんだ。
“これ、ザリガニなんですか”
なんて言ったら確実にウェイターの沈黙の三秒間は免れない。もっと明確に指摘せねば。
それにこの料理を持ちながら、という状態は恥ずかしすぎる。
そして傍から見ると、海老とザリガニの見分けもつかない馬鹿だ。
“貴方、さっきあれを『ザリガニ』と言いましたが、アレって……”
いける、これを言えば相手の沈黙は免れるうえ、言い切らない形なため、変な雰囲気も作らずに済む。
もう一つの障害物、発見。
(……さっきのウェイター何処?)
そこらでせわしなく、かつ落ち着いた足取りで動くウェイターにでも言うか……。
だが、それならばもっと明確に、細かく説明せねばならない。なんか恥ずかしい。
例の伊勢海老(ウェイター曰くザリガニ)フルコースに目を落とす。
だんだん、本当に見分けがつかなくなってきてしまった。
“こいつがザリガニであいつが伊勢海老で?”みたいな。もしくは逆だ。
僕は腹をくくって、この生物を食すことを決意した。
必死に、ただ必死に“これは伊勢海老だこれは伊勢海老…”と何遍も暗示をかける。
見た目も変わらないじゃないか、たぶん。
唾を飲み込み、いざ口に入る——。
(味の大革命やああああああああああああ)
うまい、このザリガニ、まさしく伊勢海老じゃないか。いや実際伊勢海老なのか?もういいや。
二日後、テレビニュースに僕は釘付けになっていた。
女性のニュースキャスターはこう原稿を読み上げた。
「一昨日、名称統合推奨連盟の意見が通ったとのことです。外見が相違がない物、ひとつの物に複数の名称があるもの、は、連盟が定めた名称に統合すると表明しました」
嗚呼、なるほど。伊勢海老はザリガニになったのか……。
明日もザリガニ、食べに行こ。
(完)
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『花火が終わるころ』
息を切らしながら夜道を駆ける。
自転車のペダルに全身の力をかける。
————花火、見に行ってくるよ。1年に一度きりだから、これまでわくわくしてたんだ。
…………貴方と一緒に行きたいな……。また来年、行こうね————。
この一発目の花火が終わった去年の夏、貴方は頭を吹き飛ばされた。
それを聞いたのは1ヶ月という、短くも長い頃。
妬みや僻みに巻き込まれて踏み荒らされた貴方の体を僕は直視できなかった。
目を背けてはいけない、そう思っていたのだが——出来なかった。
僕は、未だに打ち上げられていく花火の火薬の匂いと、そうでない火薬の臭さが入り混じった中、呆然とただ涙を流していた。
夜道を花火が照らす今日を駆けていく。
花火の火薬の匂いが頬をさする。
あの頃の貴方の面影がふいに幻影となって思い出してしまう。
僕は今日も生きていく。
会いたいなんて思ってはいけない。
触れられないならもういっそ消えてしまえと、そう切に願う。
今日も生きていくために。
汗ばんだ手で自転車のハンドルを握る。
僕は曲がりくねらず、まっすぐに駆けていく。
後ろに君が乗っていたなら、きっと焦りと重さでふらついていたんだろう。
僕が向かうのは貴方の心。
貴方に会いたいなんて、思っているけど、思わない。
大きな枝垂れ花火が夜空に咲いて、とうとうクライマックスを告げられた。
この花火が全て枯れてしまったなら、あの時と同じ、優しさは失われてしまうかもしれない。
貴方が僕にくれたのは、何気ない笑顔でした。
貴方が僕にくれたのは、貴方の喜びでした。
貴方が僕にくれたのは、僕への喜びでした。
貴方が僕にくれたのは、最期、という、生きていく使命でした。
僕は息を切らしながら夜道を駆ける。
自転車のペダルに全身の力をかける。
忘れてはいけないってこと、忘れないように。
貴方を一生、つれて歩んでいきます。
お互い苦しいこともありますが、ふらつくかもしれませんが、歩んでいきます。
大きな枝垂れ花火が夜空に咲いて、また大きな枝垂れ花火が夜空に咲いて。
貴方の面影を大事に忘れないように、僕は必死に自転車で駆ける。
(完)
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『シンパ』
映画館二、三階あたりに取り付けられた如何わしい看板の下で、彼は一人淋しく、涙をコンクリートに落とした。
彼の耳にさされたイヤホンは小型ラジオに繋がっており、その内容は下らない思想を誇示する中年が喋りたおす、というものだ。
シンパの話はあまりに酷く、稚拙な思想だったのか、彼はラジオの周波数を変えた。
汚れたアスファルトの上を人々が行きかう。人々とはいうものの彼たちから見ると人混みにすぎない。
彼は安いアパートの古びたドアノブに鍵をさし、独特の音を出しながらドアは開いた。
彼の日課とも言える行為、それは、狭い部屋の窓から青い空を見上げる。
気がつくと時は流れ、涙も流れ、時代に流され。
うろこ雲は今日も綺麗だと、そう彼は思うのだった。
彼は嫌悪感を抱いていたテレビ番組が好きになった。
当時、忙しかったためか馬鹿馬鹿しく感じたのだ。
だがしかし今となっては無性に恋しくなるのだ、羨ましいのだ。
気付くと時計の針が夜12時を示していた。
それから行動に移すのには時間がかかり、その間に無情にも秒針は忙しなく動く。
そんな時計にさえも彼は嫉妬を感じて、同時に罪悪感も何故か感じた。
男はドアノブをひねり、アパートから出て行った。
イヤホンがFMを喋っている。
深夜なためか、静かめなクラシックが流れていた。
と、右斜め前方辺りの遠くの方で不審な人物が座っていた。
彼が何故、不審だと感じたかというと、その黒ずくめの服装にあった。
ハット帽からコート、ズボンに革靴と全て、総じて真っ黒だ。
夜に黒を基調としたものを着ると言えば不謹慎なことしか思い浮かばない。
彼は知らず知らずのうちに、不審人物へと歩み寄っていった。
自身も理由は解らない。
座っている不審人物の前に立つと、そいつは彼の方を見上げた。
老いた爺さん。鼻は高く、髭は貫録を感じさせ、目は誠実さと鋭さを感じさせるものだった。
彼はその老人に妙に興味が湧いてきた。今までの全てを話そうという気になった。
毎日が憂鬱であること。
残ったのは自殺願望であること。
周りの人間が偽善者にしか見えなくなったこと。
日々下らない主張を誇示するシンパは自分だということ。
老人は一瞬戸惑いの色を見せたが、それらの不安を黙って聞き、そうしてこう言った。
——今から希望の呪文を教えてあげよう。これを暗唱しつづけると、きっと喜びが訪れる。
君の暗唱が終わった時、それは君の心が満たされた時だ——。
彼はアパートの狭い部屋で、あくる日もあくる日も繰り返し呟いていた。
今日もうろこ雲は綺麗だと思ったが、それは入道雲だった。
気付けば月が空に昇っていた。
気付けば太陽が輝いていた。
気付けば白い雪が舞い落ちていた。
十年経ったが、男は未だアパートで独り、呪文を暗唱している。
とうとう彼は腹が立った。あの老人を殺してやる。
だが冷静に考え直してみると、あの時は俺と同じぐらいの老いた爺さんだ。もう死んでいる。
なんて戯れた事を考えつつも、ただ必死で、喜びに向かって呟きだす。
向かいの壁に唾液が飛び散る。それほどまでに、叫んでいた。
そうしてその壁に赤い液体が飛び散ったのはまもなくのこと。
男は口から血を流しながら床に倒れこんだ。
そうして暗唱は終わった。
眩しい光は男には差さなかった。
いや、もしかしたらこの時こそが喜びだったのかもしれない。
(完)
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『ぼくらの夏』
—息苦しい、暑苦しい。
目を覚ますと木造建築の家らしい天井と、ぶら下がった蛍光灯。
気がつくと一斉に蝉しぐれを浴びていた。
ああ、喉が痛い、さては僕は口を開けながら寝ていたな。
僕から見て右側には扇風機がゆっくりと首を振っている。
こんな時は喉の腫れあがった部分を切り落としたい、といった狂気じみた思いも生まれる。
上半身を布団から起こし、後ろに手をやり、その力で起き上がろうとすると違和感を感じた。
手首だ。両手の。痛い。
痛みを厭わずに腕や手首に力をいれ起き上がると、今度は足首が痛んだ。
全く記憶にない、怪我のことなんて—。
「おーい、ゆうちゃーん!遊ぼやー!」
「これから探検に出発すんだけどー!お前も入れてやるよー!」
外からは聞き慣れた大きめの声が聞こえてきた。
最初の関西弁が雅晴(まさはる)、もうひとりが弘紀(こうき)だ。
二階の窓から僕は顔を出すと、
「あ、うんー、ちょい待っててー!」
と、適当な言葉を返した。
探検—その言葉だけでもどきどきする。
足首の痛みより、わくわくどきどきの感情が勝っているせいか、階段を早く下りても平気だった。
どたどた、と喧しく音を立てながら一階に到着。
しかし、何故か親や弟の声が聞こえない。
(ラッキー。)
どうやら誰もいないようだ。
普通なら、皆自分を置いていったな、という怒りが込み上げてくるところだが、今は違う。
面倒なのがどっかいってものすごく嬉しい。
早速、靴を履こう。
僕の右側には無造作に置かれた『4年1組 後藤 遊』の文字が書かれた僕の名札。
かかとが靴に入ると勢いよく戸を開けた。
ちなみに、服を着替えていないのは、普段着のまま寝てしまったせいでパジャマ等は着ていなかったからだ。
「おお、ゆうちゃん早い。」
と、笑いながら雅晴、通称まさくんが言う。
そして、僕が不思議そうな顔で二人に尋ねる。
「ところで探検ってどこ行くの?」
「お前、探検っていったら洞窟だろ。洞窟。そんなんも知らねーで生きてたのか。」
弘紀に人生全てを否定された。
なるほど、洞窟なら近くにあるし雰囲気もでる。
だがしかし、入ったことはないが、結構怖い。
「皆はどうやって親に説明してきたの?洞窟っていうと結構危険だしユーレイが出るって噂だからダメって言われなかったの?」
「いや、俺んち誰もおらんかった。」
「俺もおんなじ。」
奇跡的な偶然が重なって、探検に挑めるというわけか。
傍迷惑、有難迷惑、探検は良いけど洞窟は嫌だ。
奇跡的というより絶望的である。
(でも今更行きたくないって言うとビビリって言われるしなぁ。)
「うーん、俺達って幸運やなぁ。」
僕にとっちゃこれは不幸な出来事だ。
「わくわくどきどきの出発だぁっ!」
むしろどきどきしかない。
蝉は僕を嘲笑うようにわしゃわしゃ鳴く、嗚呼…。
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一軒家の二階に向かって叫ぶ子供三人。
「「「大輝くーん、あーそーぼーっ!」」」
そして十秒の沈黙。
疑問を持った顔で弘紀が言う。
「んー?留守かー?」
「そうかもね。」
「よっしゃ、もっかい叫ぶか。」
ご近所迷惑なことを雅晴が提案すると、
「いや、ちょっと待て。」
と、いきなり弘紀が止めに入った。
「うわっ、びくった。なになに?」
「思い出したんだ。大輝のトラウマを…。」
「へ?なにがあったんや。」
間抜けな声で雅晴が尋ねると弘紀が少し暗い顔で語り始めた。
「あいつの父さんが死んだことは知ってるよな。その死んだ場所が…あの洞窟らしいんだ。」
僕等はその事実があまりに怖く感じた。
と、同時に僕と雅晴は苦笑いを浮かべた。
そうでもしないと、振り切ることができなかった。
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マウンテンバイクを僕等は必死にこぐ。
夏の暑さに負けじと、立ちこぎで畦道を駆ける僕の顔から汗が滴る。
青空に大きな入道雲、左右の青々とした木々から煩く聞える蝉の鳴き声。
その全てが、その自然現象が、心地いい。
太陽に曝された赤の他人は、この季節になると輝いて綺麗に見える。
それを僕は自転車をこぎながら、そう思った。
「着いた。」
「着いたな。」
「着いたね。」
仰々しく構えるその洞窟の入り口からは、冬に見たときよりも、何故か不気味に感じさせるものがあった。
と、ちょっと気になったことがあったので二人に尋ねてみる。
「あのー。」
「なんやゆうちゃん。」
「誰が先頭…?」
「…。」
「……言いだしっぺって雅晴だったよな。」
無言になった雅晴を弘紀が薄目で睨む。
第一次責任転嫁戦争勃発。
「…いやいやいやいや、そんなん関係ないやんけ!俺の提案にのったのは弘紀やろ!つーことは計画を決定したのもお前や!」
「何馬鹿なこと言ってんだよ!それおかしいだろ!」
「まあまあ二人とも…」
「「じゃあ遊先頭な!!」」
「え…なんで?」
「なんでもだ。」
「うん、しゃーないわコレは。」
と、何故か戦争に巻き込まれてしまった僕であったが、おとなしく引き受けることにした。
だって、埒が明かない。この二人だと。
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よく解らない何か。
暇潰しに書いてた奴。
『電光盤の軽視』
違う、僕の言いたい事と相手の解釈が異なり、摩擦が生ずる。
怒りのリミテーションを体内で創造し、多種多様なモードを選択し、放つ。
玄人ぶった奴が嫌いだ、全ての人間の中で一番嫌いだ。
そういった弾を込めて銃口から射出するのだが、どうも沈着化しそうに無いのだ。
相手は新たな弾や兵器を開発し、まるで僕の事を解り切った顔でトリガーを引く。
エゴは肥大化し、闘争心は終末を呼び、平和を謳歌する者は馬鹿にされ、
解り切った顔でトリガーを引く。
素晴らしいと賛美する声は、何時の時代だって権力者だ。
社会に於いての弱者は権力者の弾に、弾のリミテーションと成るのだ。
鐘は一定のリズムで鳴る。
少しの変拍子さえも規制され、ネガティブをポリシーとする者が街を闊歩する。
没個性に嫌気がさして、奇人を演じた故の終演。
終わりの鐘は一定のリズムで鳴る。
多勢の銃弾が空間を切る中、トリガーを引きたくないという者も存在した。
勢力の衰えにより他方に加勢し、元来の衰えた勢力の信頼を失い。
全てのモノを失い。
解り切った顔でトリガーを引く奴に媚び諂うのだ。
軽視は無言の殺人兵器と呼ばれ、様々な人間の心を殺した。
戦争の軽視、心情の軽視、発言の軽視、個性の軽視。
全ての兵器の元。
リミテーションとは模造品の意だ。
怒りのリミテーションは自尊心を護り、世間体を気にしたアピール。
この街は栄え過ぎた様で、電光盤の行き過ぎた普及は感傷へと多くを導いた。
空中浮遊の呟きでさえ世界を脅かす戦争世界。
メリットも勿論在るのだが、僕はあいつが嫌いだ。
世界を知り尽くした様な、解り切った顔のあいつが嫌いだ。
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『心』
不意に自殺願望がよぎり、僕は嘔吐した。
深夜を明るく照らす車のライトが傍を通り、吐瀉物をも照らし、輝きを放つ。
混濁した吐瀉物は今の僕の脳味噌の色と、似ている。
形容が下手糞な僕は、薄汚い物を僕の脳味噌として例える。
只の自己満足に過ぎない。厭世家を気取っているに過ぎない。
僕は、街路灯の眩しさに目が眩みつつも、躓きそうになりながらも、足を進める。
また車のライトが傍を走る。街路を歩く僕は目を細める。
また歩きだす。
気色の悪い思想や概念に囚われ過ぎた人間は、“終わり”へと歩き出す。
深夜の公園は妙にゴミ臭く、そして心を逆撫でする。
雨上がりの湿気が、肌を通して感じ、植え込みの葉には雫が残っている。
僕は何かの遊具に腰掛けようとしたが、やはり濡れていて、とても座る気になんてなれない。
想像しただけでも襲い来る不快感を拭い、公園を出た。
訳あって墓場に住む僕は、よく気晴らしに深夜の街を散歩する。
世間から見れば徘徊なのだろうが、僕にとっては飽くまで散歩でしかない。
職務質問を何回も受け、家が無い、と言えば軽蔑の眼でよく見られる。
世間とはそういうものだ。
世間とは正しさという概念の檻に自分から入り、その中で、檻の外の人間を侮蔑する。
世間とは一人一人の集合体なのだが、僕には巨大で恐ろしい敵にしか見れない。
世間とは冷酷な動物だ。
近くで幼い子供が車に轢かれて死んだそうだ。
ゴミ箱で拾った新聞に、理不尽な程、小さく載ってあった。
偶然に事故現場に辿り着くと、僕はある物を探す。
横断歩道の傍には、手向け花束と、お菓子が置いてあり、命は此れほどの物だろうか、と思ったが、そういう物なのだろう。
想いが花束に詰っているのか、知る事は出来ない。
僕はその供えられたお菓子を、薄汚いコートに突っ込み、また歩く。
細い路地裏を自動販売機が照らすのだが、人がそれに凭れかけている。
心配する心の余地は無いのだが、興味本位で僕は近くまでその人を見ようとした。
疲れ果てた顔をした、若い女だった。
瞼は軽く開かれているのだが、この暗さで瞳を見る事は出来ない。俯いているため尚更だ。
僕は酷くこの女に同情した、しかし腹が立った、僕は女の腹に蹴りを入れた。
声も出さず、自動販売機から倒れる女は、表情一つ変えなかった。
死んでいるんじゃないか、と思ったが息は確かにしているようで、自販機の光で見えた顔には意志があった。
何故腹が立ったのかは解らないが、自分に対する怒りを、女を自分と見立て、ぶつけたのかも知れない。
だがそんなことはどうだって良い。
僕は非常にむしゃくしゃして、腹が立って、また、蹴りを入れる。
少し眉間が動いた気がするが、抵抗する意志は感じ取れなかった。
いっそ、この女を犯して、苛立ちを晴らそうか。
そういった思考が頭をよぎったが、嫌になって僕は走ってその場から逃げだした。
まだ自分の心の綺麗さを保っていたかった。馬鹿なのだ。
僕は死ぬのを明日へ延期し、今日だけ生きてみようと思う。
薄汚い“綺麗な心”を無様にぶら提げ、“まだ生きている”と証明したい。
まだ僕は人間のまま死ねるのかを、知りたい。